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バレエ小説「パトロンヌ」(55)

KAI暦15年

寺田甲斐がバレエKを立ち上げて、5年が過ぎた。3年目に初の全幕物「ジゼル 」の後、甲斐は2年の間に「眠りの森の美女」「白鳥の湖」「くるみ割り人形」と、チャイコフスキーの三大バレエすべてに挑み、すべてを成功させる。怒涛の進撃だ。ただ、リカは「眠りの森の美女」については、大いに不満があった。「眠り」と「白鳥」について、甲斐はダイアナ・ドーソンつまりDDとペアを組んだが、この間DDは腰痛に苦しみ、舞台上のパフォーマンスは最盛期に遠く及ばない。10年前、ロイヤルバレエで、DDのオーロラ姫を観ているリカにしてみれば、バレエKの初の「眠り」は及第点すれすれのプロダクションにしか思えなかった。

(「素晴らしい!」とか書いてる評論家たちは何を見てるのかしら。)

バレエKのトップスターは甲斐である。だが、多くのバレエ作品において、主役は女性だ。甲斐の技能に匹敵し、彼と組める主演級の女性ダンサーがいなくては、質の高いバレエは成立しない。

(甲斐のパートナーを務められるのがDDしかいないということが、すでにバレエ団としてまだまだだということではないかしら。「眠り」は早かったのでは?)

なぜなら、「眠り」には見せ場となるパ・ド・ドゥの踊りが随所にあるからだ。最初から最後までジゼル とアルブレヒトが出ずっぱりの「ジゼル 」と異なり、眠りの第一幕ではオーロラ姫はまだ生まれたばかりの赤ん坊だし、王子にいたっては時空を飛び越え116年後の人間。オーロラ姫の誕生を祝う会で踊るのは「金の精・銀の精」など、妖精や魔法使いたち。2人の結婚式の場面である最終幕でも、主役は最後の最後に登場し、先に招待客が踊る。それも「赤ずきんと狼」や「青い鳥」といったおとぎ話のキャラクターたちなのだ。何時間もかかる作品で、ストーリー的にもさして重要ではなく、時間的にもたった5分かそこらしか出てこないとしても、その5分で衆目を集め、劇場を支配する力がダンサーには求められる。だからロイヤルバレエでは、何人ものプリンシパルたちが勢揃いしてこの舞台を務めるのだ。昨日オーロラをやっていた人が、今日は青い鳥のフロリナを踊ってたり、今日王子をやっていた人間が、明日は金の精として踊るという具合。きら星のごとく配された面々の中にあって、それでも抜きん出て光り輝く存在。それが、リカの観たDDのオーロラ姫だった。

今年バレエKが「眠り」を再演するにあたりDDを招聘したことに、リカは多少の不安も覚えていた。40歳に手が届こうというDDが、自分の中にある絶頂期の彼女のオーロラ姫のインパクトにどれだけ迫ってくれるのか。長いツアーを全うできる体力が、今の彼女にあるのか。

(でも、彼らはきっとやってくれる。)

バレエK初演の「眠り」は、甲斐にとってもDDにとっても満足のいくものではなかっただろう。きっとリベンジに燃えている。そのための再演だ。ロイヤルを超えろとは言わない。でも、最高のパフォーマンスを見せてくれ! リカはそう願って劇場へと向かった。


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