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バレエ小説「パトロンヌ」(53)

幕間、3階席のミチルはずっとバチルドのことを考えていた。これまで、バチルドは単に「アルブレヒトの婚約者」であり、それは貴族として周りが決めたいわゆる政略結婚だから、アルブレヒトにしてもバチルドにしても、「そこに愛はない」と簡単に処理していたが、今日のバチルドを観ていて初めて彼女の目から見たこの物語を考え始めた。

何不自由なく育った箱入り娘の公爵令嬢は、美しく上品で、物腰も柔らかだ。大きく驚いたり笑ったりしない。それは貴族の娘としての嗜みであり、幼い頃からそうしつけられてきたのだろう。だから、彼女は自分の考えていることをほとんど表に出さない。それでも居住まいと仕草と、顔の表情のちょっとした変化で、見えてくるものがあった。そこが当夜のバチルドを演じた花村智恵の優れた点である。大柄な花村は、立ち姿だけでも公爵令嬢としての威厳が感じられた。しかしそれだけではない。花村の役づくりはミチルの「バチルド」像を一変させた。

箱入り娘のバチルドにとって、狩り遊びはお城を出られる数少ないチャンス。気晴らしでもあり、目にする外の世界は珍しいものばかりだろう。休憩に訪れた農家の娘が、思わず自分の衣裳に頬ずりしたとき、無礼な!と叱責する従者を制し、彼女はジゼルを赦す。

ーーきれいなものに目を輝かせるのは、貴族も農民も同じよね。あら、農民にしては可愛い娘さんじゃない? 名前は?

それまでは「農民」という顔のない群衆の一人だった娘に名前と顔が付され、一個の人間として認識すると、俄然興味が出る。踊りが好き、というその娘に「踊って見せて」と促し、見事に踊ると褒美に自分の首飾りを下す。寛容で慈悲深い、善き貴族のお手本だ。左手の薬指にはまる大きな宝石の指輪にジゼルが目を止めた時も、「きれいなものが好き」な乙女心を察し、これが婚約指輪であることを教えてゆっくり見せてあげる。

「お姫様には婚約者がいらっしゃるんですね? おめでとうございます! うふふ、実は、私にもいるんですよ!」

まさか二人の「婚約者」が同一人物であるとは、この時点では誰も知らない。「女同士」のたわいのない恋バナを、農民とも楽しんでできるバチルドは、尊敬できる素敵な令嬢だ。

そこにアルブレヒトが姿を現し、ジゼルが「この人が私の婚約者」と言う。その時の、花村の演技が見事だった。ちょっと目を見開くけれど、動揺は見せない。何事もなかったようにアルブレヒト へと手の甲を差し伸べ、キスを促す。もはやジゼルは眼中から消えた。「ジゼル」から「顔のない農民」へ。同時にバチルドも、柔らかい娘の顔から、能面へ。一切の表情を能面の中に閉じ込めた。

ーー私は貴族。この人と結婚して、王室に入る。威厳を保て。この人が、誰と遊んだとしても私を捨てることはできない。これは、王子の隣に席する唯一の妻として、誇り高く生きるための最初の試練。動揺してはいけない。農民と同次元で争ってはいけない。首飾りは「下し物」だ。犬にだって、花にだって、恵んでやる。それは貴族の気まぐれで、一つ一つに意味なんてない。ただの施しよ。

「公爵令嬢」という、上品で、誇り高く、哀しい女がそこにいた。ジゼルが狂乱し死んでも、バチルドの表情は変わらない。無垢な箱入り娘は生まれて初めて人に裏切られ、能面の下に夜叉を隠すことを学んだ。ジゼルは恋に破れ肉体が死んだが、バチルドは、生きていくために心を殺した。彼女は生涯、ジゼルを思い続けるアルブレヒトの隣で生きていくのだ。(つづく)


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