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読書雑報

バタイユ周辺①

 以前友人と近所の小料理屋で食事をしながらパラパラと「エクリチュールと差異」を読んでいてプッと吹き出したところを指摘されたことがある。「こんなところでデリダを読んで吹き出すな」というわけである。説明しよう。

ジャック・デリダ『エクリチュールと差異・下』法政大学出版局
第9章『限定経済学から一般経済学へ』三好郁朗訳

 1966年に『アルク』誌バタイユ特集号に初出のこの論文は、サルトルのバタイユ批判『新しき神秘家』への反論として書かれた経緯があるようだ。

 バタイユの提出する諸概念は、それが置かれている統辞法を無視して個々に把捉し、固定化して見れば、すべてこれヘーゲル的概念である。そのことは認めるほかないのだが、それですべてが終ると考えてはならない。というのもこうした一見ヘーゲル的な諸概念にバタイユはある震動を与えており、概念そのものにはほとんど手をつけていないが、これを新しい付置へと転移せしめ、再記載しているからなのだ。したがってこうした震動なり新しい付置なりがもたらす効果を厳密に把捉しきれないままだと、やれバタイユはヘーゲル的だ、反ヘーゲルだ、いや、出来の悪いヘーゲル亜流だ、などとその場その場で行きあたりばったりな評価が出てくることになるだろう。もちろん、いずれもみな間違っている。(162P)

 「みな間違っている」言い切りである。ことアルトーとバタイユに対してデリダの感情は「愛」と呼ぶに相応しい。この二人にはあり、デリダ自身にはひょっとすると無いかも知れぬ狂気と、それがもたらす天恵とも言うべきインスピレーションに対する深い憧憬が見えるような気もしないでも無い。

 まず《至高性》のことから始めようと思う。一見したところでは「精神現象学」における《支配》を翻訳したものかと思われるであろう。《支配》の主な作用は、ヘーゲルによると、「われわれが《現存在》一般の普遍的特性に対してはおろか、いかなる特定《現存在》にも縛られていないこと、つまり生に縛りつけられているわけではないのだということを示す」ところにある。かかる作用は帰するところ、自己の生の全体を《危険にさらす(賭ける)》ことであろう。これに対して《奴隷》とは、おのれの生を危険にさらさぬ者、生を保持しようと望み、自身保持されてあることを望むものなのだ。生を超えて立ち、真向から死を凝視してこそ《支配》に、つまり対自と自由と認知とに至る道が開かれる。自由とはしたがって、生を危険にさらしてこそ成るものなのである。そして《主人》とは死の苦悩を耐え忍び、死の所業を支え切る力を有した者を指して言うのだ。おそらくバタイユは、ヘーゲル哲学の中核をこのように捉えていたのであろう。(一部括弧内表記略)(163P)

 しかしデリダはヘーゲルの《支配》とバタイユの《至高性》の間に存在する根元的な差異を指摘する。

 この差異に意味があるとさえも言えないのだ。この差異は意味自体についての差異だからである。つまり、意味をある種の非-意味からへだてる唯一の間隔なのだ。(164P)

 このポスト構造主義の代表的著作の終わり近くに来て、我々はデリダが哲学そのものを秤にかけようとしているのを目撃しているようだ。意味の認知のため、真理のために生を危険にさらしながらもそれを保持すること。獲得した意味を享受すること。そして連綿と続いていくそれら意味の歴史。その一切を意味への隷属という「限定経済学」の枠内に封じ込めようとする一人の男の存在について、デリダの表現は「詩的」ですらある。

 バタイユの哄笑。生のつまりは理性の詭計によって、結局のところ、生が生きながらえてしまっている。こんなことになったのも、実は、いつのまにかすっかり別の《生》概念が導入され、そのままそこにいすわり、理性同様、遂に超えられることのないままにあるからだ。(166P)

 続く数段の「一労働たる哲学」に対するバタイユの「笑い」についての情熱的とも言える論を一気に読みながら、その痛快さに私は吹き出した。これが「小料理屋デリダ爆笑事件」の顛末である。

 「詩も笑いも法悦も《体系》においては無なのだ。そうしたものをヘーゲルはさっさと厄介払いしてしまう。彼には知以外の目的など考えられないのだ。彼につきまとっているあの無際限な疲れは、わたしの見るところ、そうした盲点への恐怖に起因するものである」(『内的体験』)。笑うべきは意味の明証性に降ること、ある種の命令の持つ力に屈服することだ。この命令は言う、意味あれかし。(168P)

 そうだ。無である。徹底的な放蕩と泥酔の果てでバタイユが見つめていたもの。そしてその「不可能なもの」を眼前に、常にバタイユは笑っていたはずである。
 このデリダの論文は、あるいは「笑い」そのものの極限を指し示そうとする試み、と言えるのかも知れぬと思った。

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