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読書雑報

バタイユ周辺②

 この、ロール唯一の翻訳は未だに復刊されていない。非常に残念だ。

『バタイユの黒い天使-ロール遺稿集』佐藤悦子・小林まり訳
リブロポート社1983年初版 現在絶版

 確かにロールの文章は発表を前提されたものではなく、文章自体稚拙と言えるようだ。翻訳者が再三その苦労をぼやくほどである。
 しかしこの本には、パリの裕福な家庭に生まれ、幼少期にカトリック牧師の性虐待を経験し、20代半ばでドイツ人医師の「奴隷」として1年間そのベルリンの屋敷からほとんど一歩も外に出ずに犬用の首輪を着けて生活し、パリに戻ってからはフランス共産党の創立者の一人と交際、そしてその男が彼女に読むことを禁じた『眼球譚』の作者と出会い、恋をし、彼に看取られながら死んでいった女性が書いた文章のほとんど全てが収められている。
 本を開くとまず生前の写真。それをめくると死の床の、安らかな死に顔、文字通り「眠っているような」写真がある。
 思想穏健なブルジョワ家庭の不名誉な娘。その作品の出版を拒んだ著作権相続者の反対を押し切り、ホテルの便箋や引きちぎった新聞紙に走り書きされたものまで掻き集め、ロールの全てを出版しようとした彼女の甥、ジェローム・ペーニョの近親相姦的とも見える深い愛情がなければ、我々がこの翻訳を手にすることはなかったのだ。
 私が初めてロールの名を眼にしたのはモーリス・ブランショ『明かしえぬ共同体』の中の一節だ。

 その共同体が開示されるのは、それぞれに特異な義理の少ない少数の友人達が、自分たちの直面しているあるいは自分たちがそこに運命づけられている例外的な出来事を、はっきり意識しながら分かち合う沈黙の読誦によってそれを構成するときである。その尺度に見合う何ごとも語ることはできない。それにつけ加える注釈はありえない。たかだかひとつの合言葉があるだけだが(地下出版され回し読まれた「聖なるものについてのロールの幾ページかのように)それも、それまで各人が孤独であったかのようにそれぞれに伝えられても、かつて夢見られた「聖なる陰謀」となることはなく、孤独をうち破ることこともなく、ただ未知の責任(未知の者を前にして)へとさし向けられて、共同で生きられる孤独の中でその孤立を深めるばかりである。
(『明かしえぬ共同体』ちくま学芸文庫版50P)

 一度だけ現れるひとりの女性の愛称。原注はない。ブランショは読者に対してはっきりと注意を喚起しているのである。
 訳注によってロール(本名コレット・ペーニョ)がアルセファル時代にバタイユと交際し、グループ・アルセファルが企てた供儀の生贄として立候補した女性であることを知った。つまり(バタイユによって)殺されることを望んだということになる。しかしこの「聖なる陰謀」は実現しなかった。
 私はすでに絶版となっていたこの翻訳本をすぐに古書店から取り寄せた。

 大天使か娼婦か
 ええどちらでも
 あらゆる役割が
 わたしに与えられる
 決して予想のつかない人生
 (『ロール遺稿集』78P)

 一読凡庸と見える詩句も、その人生を知るにつけ、それが誇張でも比喩でもないことに気づく。
 詩、小説、感情的な論文、バタイユへの手紙の数々。驚くのは文章から唐突に垣間見える鋭いナイフのような輝きである。それは時にアルトーを彷彿させるほどの激しいパワーを持って読者に迫ってくる。
 繰り返される断片的なイメージ、繰り返される呪文のような言葉、「聖なるもの」「交感」。

 たかだかひとつの合言葉があるだけ
 (『明かしえぬ共同体』50P)

 これこそブランショが我々に注意を喚起したものであろうか。
 先日G氏からのメールで知ったのだが、ブランショ『死の宣告』に登場するJはロールがモデルということだった。確かにあの壮絶な臨終のシーンは『ロール遺稿集』巻末、ジョルジュ・バタイユ関連資料に見る、バタイユが描写するロールの臨終と、一対となるべき文章とも思える。
 それは例えば、ある美しい視覚的イメージさえ共有しているのだ。

 十月十一日
 ロールの臨終の苦しみの最中、当時荒れ果てていた庭の枯葉としおれた植物のなかに、わたしはそれまでに見たなかで一番美しい花のひとつ、やっと開きかけた「秋の色」の薔薇を一輪見つけた。錯乱していたにもかかわらずわたしはそれをつみとり、ロールのもとへもって行った。ロールはそのとき、自分自身のうちに、名状しがたい譫妄状態に迷い込んでいた。しかし、わたしが薔薇を手渡すと異様な状態を抜け出してわたしにほほえみかけ、最後の理解可能な言葉のひとつを口にした。「うっとりするほどきれいだわ」と彼女はわたしに言った。それから花を唇に持って行き、彼女から逃げ去ったあらゆるものを取り戻したいと望んでいるかのように途方もない情熱をこめて接吻した。だが、それはほんの一瞬しかつづかなかった。彼女は子供が玩具を放り出すように薔薇を放り出し、ひきつけるように呼吸しながら、彼女に近づくものすべてにふたたび無関心になった。
(『有罪者-断片』ジョルジュ・バタイユ『ロール遺稿集』311P)
 夜中の十一時か十二時頃、彼女は軽い幻覚に襲われた。それでも、彼女はまだ目覚めていた。私が話しかければ返事をしていたから。彼女は部屋のなかを〈素晴らしい薔薇〉が通り過ぎるのを見た。昼間、私は彼女のために深紅ではあるがすでにしおれかかった花を取りよせておいた。彼女がその花を心から気に入っていたかどうか、確かではない。ときどき、かなり冷淡な様子で眺めているだけだった。夜になると、その花は扉のすぐ前の廊下に移されたが、その扉はしばらく開けたままになっていたのだ。そのとき彼女は、部屋のある高さのところを(と私には思われた)何ものかが通りすぎるのを見て、それを〈素晴らしい薔薇〉という名で呼んだのだった。
(『死の宣告』『ブランショ小説選』書肆心水版203P)

 しかしロールが死んだ1938年11月、ブランショは未だバタイユと知り合ってはいないはずだ。後に親友となったブランショに対して、バタイユはロールの臨終の様子を事細かに語り聞かせたのかも知れぬ。
 いずれにしても、この類いまれな女性の生き様と、その不思議に言霊を感じさせる文章に出会ったことはひとつの衝撃的な読書体験と言える。
 細かなガラスのかけらのように、まとまらず、指の間から滑り落ちていくような美しい輝きの数々。そんなロールの文章を、いつまでも私は愛し続けるだろう。

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