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依さん、高槻辞めるってよ

 自分は中高6年間、アメフト部に所属していた。アメフト以外なんもやっていなかった。自分の青春から「アメフト」の4文字を引き算したら何が残るか分からない。


 TwitterやInstagram、Facebookで中高の友人の近況を知ることやメッセージのやり取りをすることはある。しかし卒業して10年経った今でも会うのは圧倒的にアメフト部の同期たちであることが多く、年始に集まって近況報告をするのが恒例行事となっている。


 途中で部活を辞めていったメンバーもいたけれど、そんな彼らも大学ではアメフトを再開したり、社会人になっても続けていたり、また自分を結婚式に呼んでくれたり、飲みに誘ってくれたりと、今でも縁が続いていることは大変嬉しく思う。

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 そのアメフト部の顧問にあたるY先生が今年で退任されることが分かったのは12月の半ばのことだった。


 自分と同期のHがとある情報筋から話を聞きつけ、急ピッチで送別会の話が進んでいった。


 Hが歴代のOB達と連絡を取り、情報を集め、顧問にお世話になった人達が集結したLINEグループは200人弱が所属する大所帯となった。


 各代から集まったY先生との思い出やエピソードは膨大な量になり、1冊の分厚い冊子になった。


 当時の思い出が詰まった写真はモザイクフォトとなり、Y先生が胴上げされているシーンを切り取った一枚の絵になった。


 花屋を営むOBからはチームカラーの青と黄色で彩られた花束が贈られ、アメフト用具会社で働く同期のNからはアメフトボールをかたどったトロフィーが授与された。

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 Y先生が辞めるに至った経緯は色々あるそうだが、やはりこの2年間まともに練習や試合ができなくなってしまったことが大きいようだった。昨年度は試合を棄権し、不戦敗で引退を迎えることになった後輩たちもいる。


 「気持ちの糸がプツンと切れてしまった」とも表現されていたのが心苦しい。


 辞めた後のことはまだ未定の部分が多いようだけれど、しばらくアメフトからは離れるそうだ。


 文字通りアメフトと結婚したような先生でアメフトを生きがいにして生きてらっしゃる印象が強かったので、「アメフト」を引き算した時に何か心の支えとなるものがあるのであればよいのだけれど、と老婆心ながら思う。


 ご自分ではどうしようもできない環境の変化に忸怩たる思いもあったことと想像する。


 願わくは、何か生きがいを見つけられることを、そしてあわよくばまたアメフトの世界に戻ってこられることを、教え子としては切に願うばかりである。


 依さん、お疲れさまでした。ゆっくり休まれてください。


2022年2月27日 高槻中学・高等学校中庭にて


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