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うちの家族と戦争の話

先月頭に所用のため実家に帰った。
ちょうど8月に出演する劇団チョコレートケーキのチラシが出来ていたので、前に家族LINEで知らせた時に本番を観に来てくれると言ってた親にもせっかくだから渡しておこうと持って行った。

今回の劇団チョコレートケーキは
生き残った子孫たちへ 戦争六篇

ということで、戦争に関連する話を6作品上演するのだが親にどういう話なの?と聞かれたので、ざっくりと短編連続上演の男子チームが出演する「〇六〇〇猶二人生存ス」は人間魚雷回天の話、私含め女性チームが出演する「その頬、熱線に焼かれ」は広島に落とされた原爆によってケロイドを負った女性たちがそのケロイドを取る手術をする為に治療渡米に渡ったという、実在する「原爆乙女(ヒロシマガールズ)」を題材にした話ということを説明した。

その流れで、うちの家系の戦争の話をいくつか聞いたので自分へのメモ程度に書いておこうと思う。

1.母方の祖父ちゃんの話

母方の祖父は、予科練の乙種で終戦の1週間前に出征予定で出発地まで到着したものの片道の燃料すら届いてなくて発てないと、1週間待っている間に戦争が終わった。という話は小学生の頃に聞いていたのだが母がより詳しく話してくれたので書いてみようと思う。

祖父は三重海軍航空隊の廿期で、予科練の乙種に合格して三重の基地で訓練してたっぽい。
昭和3年の生まれ、終戦の年が昭和20年。つまり16とか17くらいで戦地に行こうとしてたわけだ。
祖父は宮沢部隊に所属していて、そこに出撃命令が出て三重からおそらく電車か何かで鹿児島の先の方まで移動して8/8前後にはそっちについて出撃する予定だったらしい。
祖父は航空隊にも関わらず、すでに飛行機もない状況のため爆装ボート(おそらく「震洋」という小型特攻ボート)で突撃するはずだったらしいのだが、行ってみると片道分の燃料すらなくしかし明日には届くだろうということで、米だけのご飯を食べさせてもらったそうな。
しかし明くる日も燃料は来ずまた米の飯だけを食べて次の日を迎えを繰り返し、8/14は祖父の誕生日だった。予定通り出撃していたら迎えることは無かったであろう17歳の誕生日を迎えた。しかし、その日も燃料は来ずまたまた米のご飯を食べて明日に備えた。そうしたら8/15、日本が終戦して彼は生き残った。
実はこの時、祖父の実家では彼が広島の原爆に巻き込まれて(勿論、その時はそれが原爆だとは知らないわけだが)祖父が亡くなったのではないかと思われていたそう。
確かに三重から鹿児島まで移動していたということは、陸路であればどこかのタイミングで広島も通っていたはずなのである。
だから、祖父は偶然が重なって広島の原爆によって被爆することも出陣先から特攻兵器に乗って死ぬことも無かったのだから、戦後も77年になろうという今にして思えば強運の持ち主だったのかもしれない。

生き残った祖父は戦後、予科練の同じ部隊での集まりによく行っては思い出話に花を咲かせていたようだ。例えばある時、連帯責任で全員まとめて上官に尻叩かれて痛かったとかそういうことも思い出話として笑って話していたみたい。当時はそんなことで笑えなかったんだろうけど、笑えるような世の中になってよかった。

祖父が予科練の仲間との集まりで毎回持っていってた日章旗。使ってるのは戦後からとはいえ年季が入ってるので所々汚れている。

祖父のエピソードで全然これとは違うのだが、戦争を経験したからなのかもしれないと感じた話も聞いた。
祖父は晩年、胃がんを患って手術してたそうなのだが、胃の切除の手術の後、開腹手術なので縫ってあるとはいえ傷痕のところが普通ならかなり痛いはずなのに、痛いと喚くことは無かったらしい。その代わり、脂汗を滲ませながらジッと耐えていたとか。勿論、痛い?と母が聞けば「痛い。」とは言ってたそうなのだが、自分からは決して弱音を吐かなかったらしい。そんな祖父を見て母は、脂汗を滲ませながら我慢するくらいならさっさと看護師さん呼んで鎮痛剤入れてもらえばいいのにねと言っていた。(多分ちゃんとその後で鎮痛剤入れてもらったりはしてると思う、知らんけど)
今時、痛い時に脂汗滲ませながら我慢出来る人がどのくらいいるんだろう。
うちの弟なんて、ちょっとすり傷作っただけで顔くっしゃくしゃにして痛い🥺って秒で言うのに。

祖父は17歳のあの夏、自分は一回死んでて、あとの人生は儲けものと思って過ごしてたみたいで、だからこそ生きてる間、痛みにも自力で耐えようとしちゃうくらい相当な精神力の持ち主だったんだろうなと思う。
母方の祖父ちゃんとは生前ほとんど喋ることなく、私が小学生の時に亡くなってしまったので、まだ生きてたとしたらもっと色んな話を聞いてみたかった人だ。
それはもう叶わないのがとても残念である。

2.父方の祖父の話

父方の祖父は、学徒動員で豊川の海軍工廠で働いていたらしい。

祖父の遺品のノートに1ページだけ書かれていた海軍工廠での作業記録、薬莢って書いてあるので弾丸か何かの点検作業担当だったと思われる。よく中学生くらいの子どもにこんな作業させてたな


豊川海軍工廠は昭和20年8月7日に大規模な空襲に遭って壊滅するのだが、祖父は偶然前日が当番だったのか夜勤の担当だったかで8/7の早朝には豊川の工廠を出発して自宅に向かっていたらしい、すると午前中には空襲が始まりさっきまで自分のいた工廠の方が空襲に遭っているのを見て、しかしすぐに向かうことも出来ずその日は豊川に住む友人の実家に寄らせてもらって理由を話すと同情したのか芋を沢山分けてもらったらしい。
そうして次の日になって工廠に行くと先生なのか上官なのか分からないけど、上の人に「お前!どこに行ってたんだ!」みたいな感じで叱られ、空襲で亡くなった工廠にいた人たちの死体を運ぶ手伝いをさせられたよう。
こっちのじいちゃんもたまたま空襲のあった日に当番じゃなくてそこにいなかったから難を逃れたという幸運な人で、少しでも何かがズレていたら運命は変わっていたのかもしれない。
父方の祖父は同じ校区に住んでいたのもあって生前大したことは話したことがないけど、それでも母方の祖父ちゃんよりはまだ喋ったこともある人だった。
こっちの祖父は、喋っていてもなんだか掴みどころがなくてどこか飄々とした雰囲気があった。お寿司が好きでことあるごとに回転寿司に行っていたことと、甘いものがとても好きでよくアイスを食べたり自分でマンゴーを切って食べたりしていた姿が思い出される。彼も私が高校生の時に亡くなったので、直接戦争の話を聞くことはできなかったのが残念だ。


3.他の親戚の話

祖父たちは直接的に戦争で色々行ったりしてたのでガッツリ話があるのだが、他はさらっと聞いたくらいの話。
父方の曽祖父は背が低くて健康だったけれども、徴兵されなかったため「半端者」という感じだったよう。
その曽祖父の兄弟?は満州に出征して敗戦を迎え、シベリア抑留になり戦後しばらくして帰ってきたらしい。しかし、その人は死ぬまでシベリアで何があったか語ることはなかったそうだ。
父方の祖母の家は元々東京の御徒町でうどん屋をしていたが、戦争末期に祖母たち子どもらを愛知に疎開させたそう。両親はその後もしばらくは御徒町でうどん屋をしていたようだということは聞いたけど、その後何をどうしたのかは聞きそびれちゃった。こちらの祖母は健在なので、また遠くないうちに地元に帰って顔を出した時には本人に色々聞いてみようと思う。
母方の祖母やその家族の戦争の話はあんまり聞いたことがないので、今度母に聞いてみようかと思う。

なんだか取り止めのないことばかり、書いてしまった。
でも、改めて聞けばうちの家族にだって戦争が隣にあった時代があって。
うちはたまたま祖父たちが戦地に行って亡くなったりはしとらんけど、それでも祖父たちは同志や友達を沢山亡くしていて。
77年前、沢山の人が戦争で親だったり子どもだったり兄弟だったり、身内を亡くしていた過去があって。
原爆だけじゃなく、戦争だってもう2度と日本でしちゃいけない。
今回の劇団チョコレートケーキの6作品を通して、戦争や平和について改めて考えていきたいなと思っています。


【舞台出演のお知らせ📢】

劇団チョコレートケーキ

生き残った子孫たちへ 戦争六篇

脚本 古川 健(劇団チョコレートケーキ)
演出 日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)

2022年8月17日(水)~9月4日(日)
@東京芸術劇場 シアターウエスト/シアターイースト

世界と環境が目まぐるしく変化するなか
自分たちの輪郭をはっきりさせるために
これまでの作品を連作で振り返ることとしました。
自分たちの今の立ち位置を確認するために。
そして、これからの時代と繋がっていくために。

生き残った子孫たちへ 戦争六篇。

●シアターイースト
8月25日(木)・26日(金)
短編連続上演『〇六〇〇猶二人生存ス』『その頬、熱線に焼かれ』

2014年に外部イベントで上演した人間魚雷に命を捧げた男達を描いた短編『〇六〇〇猶二人生存ス』と
2015年、on7に書き下ろしした実在する原爆乙女を題材に描いた『その頬、熱線に焼かれ』(今回は1時間にリライトしたもの)を連続上演。

[キャスト]
長期ワークショップメンバー
『〇六○○猶二人生存ス』
い組 大知 二村仁弥 谷口継夏 
ろ組 今井公平 宮崎柊太 谷口継夏
は組 松永治樹 田中周平 谷口継夏

『その頬、熱線に焼かれ』
い組 椎木美月 蓑輪みき 本宮真緒 谷川清夏 中野亜美 中神真智子 柳原実和 
ろ組 椎木美月 蓑輪みき 本宮真緒 谷川清夏 中野亜美 中神真智子 柳原実和 
は組 椎木美月 蓑輪みき 本宮真緒 谷川清夏 永田理那 宇田奈々絵 麗乃
※長期ワークショップとは…劇団チョコレートケーキがコロナ禍において若い演劇人同士が出会い繋がれる場所を目指して18歳〜25歳を限定に募集し2022年1月より活動期限を設けず行なっているワークショップのこと。

開演時間
8月
25日(木)18時30分[い組]
26日(金)14時00分[ろ組]/18時30分[は組]

受付は開演の45分前、開場は開演の30分前

≪料金≫ 発売日7月16日(土)10時~
全席指定 ※未就学児の入場不可
■短編連続上演『〇六〇〇猶二人生存ス』『その頬、熱線に焼かれ』
前売¥2,800

≪チケットお取り扱い≫ 発売日7月16日(土)10時~
感染症対策を徹底した上ですべての客席の販売を予定しております。

■東京芸術劇場ボックスオフィス
窓口(休館日を除く10時~19時)
0570-010-296(休館日を除く10時~19時)

■チケットぴあ
シアターイースト Pコード:512-747


■Confetti(カンフェティ)
0120-240-540(平日10時~18時)

≪観劇サポート≫
■託児サービスのご案内
東京芸術劇場でご鑑賞の際には、一時託児をご利用いただけます。
ご予約受付・お問合せ:
株式会社ミラクス ミラクスシッター 0120-415-306(平日9時~17時)
※有料・定員制。希望日を1週間前迄に要申込

≪公演に関するお問い合わせ≫
■劇団
info@geki-choco.com
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公演詳細


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