「天気の子」を二回見て【ネタバレあり】
こんにちはGamin(がみん)です。
天気の子を観ました。それも、二回。
同じ映画を映画館で二回も観たのは人生で初めてで、それくらい、良い映画でした。
見てよかった。そう思う。二回目は、もう号泣しました。
* * ネタバレ * *
「なんでここまで、泣けるんだろう。良いと思うんだろう。」
二回目を見終え、帰路につく間、ふらふらと考えた。何故ここまで心を打たれたのか、何に心を動かされたのか、考えた。答えは簡単だった。
高校生の帆高に、すっかり大人になってしまった私の心を打たれてしまった。
世界がどうなったっていい。
君のいない世界なんて、意味なんてない。
君を救いたい。
目の前の大切な存在を手放したくない。
そんな、盲目なまでにまっすぐで、大切な存在を守りたくて、一生懸命な姿に。
それを、圭ちゃん(須賀圭介)は説得した。すっかり大人になってしまった、その目線で。圭ちゃんは、自分の大切なもの取りこぼしてしまっていたから。現実はあまくないと知っているから。痛いほど直視したから。そのまっすぐな気持ちを殺してきたから。
だけど、帆高が圭ちゃんに拳銃を向けて争う姿を見て、圭ちゃんと私は、忘れていたその気持ちに心を打たれたのだ。
「陽菜さんのところに…行かせてくれよ!」
何回見ても良いシーンですね(T ^ T)
* * * * *
老刑事・安井さんは言う。
「そこまでして誰かに会いたい子がいるっていてのは、なんだか、私なんかにゃ、羨ましい気もしますな。」
まさにそうだと思った。
世界をぶっこわしてでも、守りたいものがあること、盲目で、でも人間誰しも生まれ持っていたはずで、大人になって、社会の一員として、大事なものの順番を守るようになって、忘れてしまった気持ち、まっすぐな気持ち。
そんな姿に、私も、そしてきっと圭ちゃんも心を突き動かされるのだ。
そして、変わってしまった東京。変えてしまったのは、たしかに帆高と陽菜であること。その現実から逃げずに、強く生きていくことを決心し、物語は終わる。
新海誠は対談でこう語っている。
「天気の子」は許しの物語
社会がどう批判しようとも、そのまっすぐな気持ちは捌けない。周りからどう思われようが、まっすぐいても良い、許されても良い、という許しの物語。
上手に世渡りすることを覚えて、こうしなきゃダメなんだ、許されないことなんだ、と自分を制限するようになって、でも、その欲求は確かに存在して、
許されない気持ちを、思いを、忘れてしまった心を、帆高が思い出させてくれる。
そんなアニメだと思った。
他にも、心理学・メンタルヘルスについて自分が思ったこと・悩んだこと・知恵を読者のみなさんと共有していきたいと思っています。※スタバのコーヒー奢って聞く価値あったな、と思っていただけたなら、カンパしてもらえると嬉しいです。ありがたく書籍代に使わせていただきます。