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一長一短

自分は他人に興味があるくせに案外自分には興味が無いのかもしれない。

そんなことを考える日がたまにある

話している相手が何を思って、どう感じていて、どうして欲しいのか考える事は好きだけど、自分が今どうしたいかを問われた時、すぐに答えることが難しい。

これは単に考えていないとかそういう次元の話じゃなくて、この答えを出してこの人は大丈夫なのか?
どんな風に伝えることが一番平和なのか?
一番面白い回答は?
そんな端々に転がることに配慮しようとしてしまう結果、したいことではなく、発するべきことを口にしてしまうのかもしれない。

そのくせ、この人は違うと思ったら心のシャッターを閉めてしまう。ビシャッ!っとって言う言葉そのものの様に。
その瞬間にその人は僕の視界には居ない。

これを冷たいと思う人もいるだろうけど、それでもいい。

僕の中ではきっとこの人は僕にとって必要では無い人だったのだろうと思う。一方でその人を必要とする人もいて、僕はたまたま前者だっただけ。
必要な人の所へ是非力を貸してあげて欲しい。
ただそう思う。

あらゆる事象がこの世の中にあって、人それぞれに賛否がある。
どれも正解でそれらを侵すことは誰にも出来ない。
なのに何故、否定したがる人がいるのか不思議。

あくまで一意見をムキになって否定して、涙しながら共感する。
その労力たるや……

この考えの違いも僕にとっては面白い。

だからこそ僕は声を大にして言いたい。
人はそれぞれ一長一短であると。

個性を受け入れる思想が強まる昨今、外から来る新しい文化や思想を受け入れるだけの受け皿を、皆それぞれが大きくしようとしている。
ただ、その発信者が自分になった途端、気持ちの上げ下げがとても大きくなる。

受皿が大きくなるのと同時に、自分を出すことへの恐怖も同様に大きくなる。

アンバランスな世の中だから安定するまでは怖いだろう。

昔こんなことがあった。
仕事中に泣き出してしまった人がいて、何故泣くのかと聞いた。十中八九、「上手くいかなかったから」的なことが返ってくる。

僕の思うここの何故は、苦手分野で失敗して何故泣くのか?ということ。
その人にとってその仕事は正直不向きな事だと思う。その仕事に対して精一杯向き合ったが失敗してしまった。
元々苦手な所に手を出しているのだから当然だと思う。

その人にとっての得意は他にあって、そのフィールドで戦うことがその人の強みになる。
全てを確実にこなすことなど絶対に出来なくて、誰にでも得意不得意があって当然。
ダメで元々の分野なのだから、失敗してへこむ必要なんて無い。
むしろ自分の苦手を理解して、次さらに良くするためにどうしたらいい?を考える事が先決だと思う。
とても自分を責めてしまう人もいるけどそんな必要は全くない。

とは言うものの当事者はパニックだからそんな余裕はない。今こうして話している自分もきっと同じなのだから。
だから、前準備として、自分を理解することがとても大切なのだと思う。

僕らは受皿としてはとても優秀だと思う。
だけど、その分自分を疎かにして意外なところで足元をすくわれる。

自分を理解するとはとても難しい。
知っているようで知らない自分。

もっと見てあげて欲しい。

そして、何事の失敗も、あくまで一短の分野
伸び代しかない。

あなたの輝くフィールドはもっと他にある筈。

今日も自分を褒めてあげて下さい。

最後に夏休みに行った長野の写真載せておきます。




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