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ゲームの思い出:スーパーマリオブラザーズ

 桃太郎で鬼が桃太郎に勝つことは無い。絵本を何度読んでも犬猿雉は仲間になるし誰一人かけることなく鬼を倒す。こんな当たり前の事実はほんの些細なことで崩れ去った。
 
 「おじさんにファミコン貰ったんや」
 「ファミコン?」
 「テレビに繋いで遊ぶんやけどな、めちゃくちゃ面白い」
 「へー」

 今の僕を知る者なら考えられないような反応の薄さで僕はそう答えた。足元の砂利に死んだセミの死体が転がっていてそれに蟻が群がっていたのを覚えている。この頃の僕は虫が大好きだった。
 
 「やったらわかるって!今から家にこいよ」
 
 友人に半ば無理矢理連れて行かれた。もう少し蟻を見ていたかったのに、と思いながら、本当に面白いんだろうな?もしつまらなかったらボロクソに貶してやろうなどとかなり嫌な事を考える子供だった。

 スーパーマリオブラザーズ。日本の少年少女が一番、生まれて初めて最初にプレイしたゲームである。このゲームは文字通り、僕の価値観を一変させた。

 今更語るまでもなくスーパーマリオブラザーズはアクションゲームだ。左から右へ進みゴールを目指す。

 一本道なゲーム、と言う言葉がある。

 有名なところでかつてファイナルファンタジー13などがそう言われて批判されていたが、昔のゲームは今から見ればどれも一本道なものが多かった。昔のゲームは決められた難関を突破するゲームが多い為である。
 
 僕がスーパーマリオブラザーズを見て最初に驚いたのはマリオが死ぬ事だった。
 
 ゲームなんだから当たり前、そう思うだろう。
 
 しかし、桃太郎は鬼に負けることがないし特撮ヒーローは最後には必ず敵に勝つ。
 
けれど、マリオは負けてしまうのだ。

 プレイヤーの行動次第でこの世界は無数の結末を迎える。
 
 弟切草と言うノベルゲームが出た頃からマルチエンディングとかそういう言葉が言われる様になった。ロマンシングサガは決まったストーリーの無いフリーシナリオが売りだった。
 
しかしそれより前にマリオが、

いや、きっとそのもっと前から。

人生と同じで、全ての物語は無数に分かれていた。


 冒険を始めた直後にクリボーに当たって死んだマリオが主人公だった世界はその後どうなってしまったのか。
 ルイージがマリオの変わりをつとめたのだろうか。それともまた別の誰かが……。
 もしかしたらクッパと和解する世界もあり得るのかもしれない。

 僕はスーパーマリオに無限の世界を見た。

 友達と二人で交代しながらその日はずっとスーパーマリオをプレイした。
何度も何度もコンティニュー回数が切れてしまったが、なんとかステージ3までは行けるようになった。

 また明日、と友人に別れを告げて帰宅する。

 帰宅してすぐに母親にねだった。ファミコンが欲しい!

 買ってもらえない事はわかっていたがねだらずにはいられなかった。
誕生日プレゼントに当時の戦隊ロボの豪華版、スーパーライブロボのセットを買って貰ったばかりだったし。

 この後ねだりにねだり続けて、根負けした母親に次のクリスマスにファミコンを買って貰えることとなった。


 この後、スーパーマリオブラザーズを友人と二人で半年ほどかけてようやくクリアした。

生まれて初めてゲームをクリアした日、夕焼けがとても綺麗だったのを覚えている。


 マリオをクリアして数日後の事だった。

 「マリオに2と3があるらしい」
 「えっ!?マジ!?」

 友人の突然の発言にびっくりした僕は、友人と生まれて初めてゲームショップに向かった。
そんな店があるなんて知らなかった。
ゲームはおもちゃ売り場のショーケースの中にあって、おもちゃ屋で買うものだと思っていた。
棚にあるゲームソフト全てが宝物に見えた。
そして、遂にマリオ3を見つける。

 「すげぇ……」

 二人してスーパーマリオブラザーズ3のパッケージを見ていた。画面がものすごく綺麗になっていて、しっぽマリオと言うものになれるらしい。しっぽマリオの他にもたぬきの着ぐるみを着たマリオがのっていて、それがどんななのか凄く気になった。

 「お、おい……」

 顔を上げた友人が何かを見つけたようで、驚きの声とともに壁に貼られたチラシを指差す。僕はそれを見て唖然とした。

 「…………は?」

 そこには“スーパーファミコン 11月21日(水)発売予定”とあった。

 スーパーマリオワールドとFZEROがスーパーファミコン専用ソフトとして発売することも書いてあった。

 一気に入ってきた情報に頭がパンクするかと思った。

 マリオ2や3が本当にあるのか確かめに来たのにいきなりマリオ4の情報と、新しくパワーアップしたファミコンの情報である。

 結局、その日はゲームをせずに一日中ゲームショップでソフトを見ていた。ファミコンの他にもメガドライブとPCエンジンと言うものがあることを初めて知った。

 帰り道、友人がポツリとこぼした。

 「スーパーファミコン、欲しいな」
 「……うん」

 欲しいと言いつつも二人とも買って貰えないことはわかっていた。

 ファミコンは当時9000円くらいで売っていたがその倍以上の価格、更にソフトも必要。お年玉との合わせ技でも子供には手の届かない位高い壁である。

 「早く大人になりたいなあ」
 「大人になったらあそこのゲーム全部買うのに」

 今考えると大人になってやろうとする事がゲームを沢山買うこと。馬鹿げた子供の戯言だ。

 それでもあの頃僕達は、早く大人になりたかった。



スーパーマリオブラザーズ ファミリーコンピューター

1985年9月13日発売。

販売:任天堂

※見出し画像は公式の物をお借りしています。問題があれば連絡をくださればすぐに消去します。


 


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