ぼくの最低最悪の思考法

なにかの役に立てば光栄。


最低思考

ぼくは親に虐待されて学校でもいじめられて、片目も見えないし風呂にも入らず給食とか野草でギリギリ生きてきたわけです。
ある程度自我が芽生えると自分って一体なんなんだろうってアホでも考えると思うんですけど、木村は自分のことを「最低最悪の最下位人間」だと定義したわけです。


ブラブラブラブラボー! クラスでいちばんの~何する時でもドンケツのぼくはダメダメダメ星人~ってアニメが当時あったなぁ。テンテンくん。こっちんこ


メリットとデメリット

これが固まると半分くらい無敵の人になるというか、何が起きてもだいたい平気なんですよね。
宿題出さなくて怒られても、家帰って理由無く殴られても「しょーがねぇだろオレ最低人間なんだから!」って結論が出てくる。

いわゆるチー牛の人なら恥ずかしくてできないよってことでも最低人間なら恥ずかしくないし、エリートなら死んでもやりたくないよってことでも最低人間はできる。
ゴミ箱も漁るし試食コーナーも全部食う。
テストが良かろうが悪かろうが究極どうでもよろしい。
死ななければまぁOK。

2ちゃんねるを覚えて遊んでた頃、どうにも共感できないネタがあって「世界ランクが上がる」っていうスラングです。
誰か有名人や著名人が死ぬと自分のランクが相対的に上がるというあまりよろしくない考え方。
最下位は上がどんだけいなくなっても最下位じゃないですか。
ぼくは自分を最低人間だと思ってたし自分と似たような境遇の彼らにもそう思っていて欲しかった。

デメリットがあるとするなら、自分より勉強や運動ができない人間、そういう人らにめちゃくちゃ冷たくなる。
俺は人類で一番へなちょこの最下位なんだけど、それに負ける生き物ってなんだぁ!?

――実際、菜の花やツクシ食って家ではひたすらじっと寝てるギリギリ死んでないだけの子供に負ける人ってどうなの…。

実は攻撃にも転用できる

防御法として生み出した最低最悪の思考ですが、実は攻撃にも転用できる。
たとえば、すぐに自虐する人がいたとする。
基本的に自虐は責められにくいわけですが、最低人間はそこに踏み込める。

自虐マン「ぼくはなんて愚かなんだ…死にたい…」
最低人間「へぇー、じゃあ俺は何?」

これができるわけです。
じゃあそれ以下の俺は何? 人間じゃないの? 虫か? いないほうがいいのか? じゃあお前より下の人間も全員死んだほうがいいってことだよな?
こういう詰めかたができる。あらためて嫌な奴だなぁ。

最近プライド高い人が多すぎない?

自分の中で確実に言えることがあって、月曜日があるから日曜日が楽しくて、塩がしょっぱいからスイカが甘い説。

最近の人って自分のことを「普通」あるいは「本気を出したら天才」にランクインさせてる人が多くないですか?
スポーツ選手とか何者かである必要性が求められる職業なら必要だと思うけど。
たぶんそれって辛いだけというか、基本的に誰かと接触する時は自分を最下位の最低のクソだと思ってたほうが勝っても負けても嬉しいわけです。

そんなぼくでも根拠のない自信を抱いた時期があって、自分は将来漫画家になって裕福になるだろうと思っていた。
裕福っていうのは自分の稼ぎでご飯が食べられるってことです。

そんな自信も砕かれて、編集者に叩かれたとか、落選した、なら全然マシなわけよ。
学生時代なんにもしなかったからね。
なんにもしない人が漫画家なれるわけないじゃん?
兄貴なんか夢もないのに毎日絵を描いてるのに。
まぁ最低人間だからしょうがないかな。

こんな感じの人間もいます。


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