プレイヤーの歴史観(再掲)
(注:これは2007年6月11日に別のWebサイトに掲載した記事に、本文とは関係ない画像を追加したものです)
対戦しているウォーゲームのルールが不明瞭であるときに、対戦中の両プレイヤーの価値観をすり合わせて当座のルールを作ることがあります。例えば「すべてのユニットは橋がなければ川を渡れないルールだから、橋のない川ヘクスサイドを通る補給線も設定できないことにしよう」というようなニュアンスのやり取りがそれです。
ウォーゲームには現実を再現するという側面がありますので、ルールに明記されていなくても、前述の例のように現実からルールを推測することが可能であるとは思うのですが、僕はこれがどうも苦手です。もちろん苦手だからといって、折角の休日に両プレイヤーが時間と場所の都合をつけてプレイしているゲームを中断するのはもったいないですから、何とかゲームをプレイするための妥協としてこのようなルール推測が有効であることは分かっているのではありますが。
前述の「川と補給線」のルールを例にとると、ゲーム制作者は川が補給線を遮断するとは思っているけれどルールに書いていないだけなのかもしれませんし、川は部隊の移動を妨害するけれど補給は妨害しない(例えば補給部隊専用の渡河施設があったとかで)と考えているのかもしれませんし、現実では川が補給を遮断すると認識した上であえて補給線が川を越えられるルールにしているのかもしれません(ルールを単純にするために省略したり、他のルールでバランスを取ったりしてゲーム全体のバランスは保っているような場合)。
何度もそのゲームをプレイした上で、どうにもゲームの展開がおかしいので当座のルールを使うならばまだよいのですが、少ない回数しかプレイしていないゲームで当座のルールを使うのはどうも気が引けます。対策としては、できるだけ事前にルールを読んだりソロプレイしたりして、あらかじめ見つけた問題点をゲーム制作者に確認した上で対戦に臨んだり、そのような問題点のあるゲームをプレイしないように心がけたり、というくらいしか思いつかないのですが。
読書をあまりしない僕にとって、ウォーゲームはゲーム制作者が自らの歴史観を盛り込んだ良い歴史メディアであり、できることならば僕は制作者がそれに盛り込んだ歴史観を純粋に読み取りたいと思っています。また、他のゲームだったり書籍だったりで提供された歴史観と異なるものであったとしても、それはそれとして味わってみるのが良いのではないかと思っています。ですので、基本的にはプレイヤーの歴史観とは無関係な状態でプレイしたいです。もちろん、プレイヤー側の歴史観(川を渡る補給線が引けることで、このゲームは攻撃側が歴史より有利になっている、など)もとても興味深いものではありますので、色々伺いたいとは思います。ただ、その歴史観をゲームに盛り込むのは、僕はある程度納得するまでゲームをプレイした後のことにしたいのです。
ともあれ、このような心配をしなくて良いように、ゲーム制作者の皆さんにはルールをできるだけ明瞭かつ正確に記述した上で、ルールの改訂や明確化、質疑応答などをできるだけ広く迅速に発表して欲しいと思っています。