【雑記】「分かる」とは「分けられる」ということーーいきものが「分かった」話

 研究所でゲームをしているときのこと。
 なつもんをやっている研究員の画面を見て、ふと思ったことを口にした。
「あ、キベリタテハ」
 画面の中に飛んでいる虫が、キベリタテハだと言っていた。
「なんで分かったの?」
 なつもんをプレイしていた研究員に聞かれて、自分がなんで分かったのか分からずに「なんとなく」と答えた。

 この話を所長にすると、「それは分かるってことなんじゃないかな」と言われた。
 世の中に飛んでいるチョウでも蚊でもカナブンでも、それを人は「虫」と言う。しかし、虫と昆虫の違いを知っている人であれば、それに対して「昆虫」と言うかもしれない。さらに、チョウやカナブンを知っていたら、「チョウ」や「カナブン」と言う。
 こういうふうに、物事は抽象的なもの(「虫」などの大きなカテゴリー)から具体的なもの(この話では「チョウ」などの小さなカテゴリー)へと、その物事を知れば知るほど詳しく分けることができるようになる、というのが所長の話だった。
 「分かる」とは、物事を抽象的なものから、より具体的なものへ分けることができるということなのだよ、と所長は言っていた。

 ゲームいきもの研究所にいながらこう言うのは申し訳ないが、この活動に参加するまで虫に興味はあまりなかった。というより、一般的な範囲でしかいきものを知らなかった。
 ゲームをそこそこにして、パソコン作業ができて、タイピングが人より速いという点で参加したが、ここでの活動を続けていくうちに、私はいつの間にか画面にいる虫が「分かる」ようになってきた。
「それは、この研究所で伝えていきたいことの一つだねぇ」
 所長はうれしそうに言っていた。
 体験し、知識を深めていく。それは現実だけの活動ではなく、ゲームを通してもできることだ。
 今はいろいろなゲームが世の中にある。それを通して、子どもも大人も、いろいろなことを「分かって」いくのだろう。

 いきものについては、このゲームいきもの研究所がいきものの興味の間口を広げてくれるかもしれない。気になるいきものがいたら調べてみてほしい、そしてゲームをやってみてほしい。

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