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アートの力ー美的実在論の記録

"美は単に美学的な成功を示す規範の名であり、
醜悪はその反対である美学的な失敗の名に過ぎない"

"美的実在論"ーマルクス・ガブリエル

という解釈が非常にしっくりきました。美は心理学的な構築物でないとすれば、ルッキズム的に秀でている人間が、それだけでは美学的には失敗していることも多い(=醜悪である)のも当然であると感じます。美と美学的成功はよく混同され、正確には美という言葉に形式美を包含することが誤りであり、アート及び人間的、自然的美とは大きく乖離することを認識しておく必要があります。(ガブリエルは自然的美の考え方には立っていないので、主観として遺しておきます)

 "美"が心理学的な構築物であるという考え方と、美学的な成功というものを混同してしまうケースがあったからこそ、物を見る目、本質的には人を見る目も鈍ってしまうことが往々にしてあったのだと内省しました。こうしたケースの場合、解釈と理論的分析とは意図的に分けることをしなければ、心理学的な構築物としての美と、美学的な成功である美を混同してしまうことになるから、注意しなければなりません。

 経験が作品の自己構成に参加する時ー即ち食事をする人が参加して初めて料理として成立するようなコース料理を食す時や「One Minute Sculptures(1分間の彫刻)」のようなアート作品に参加する時ーそれを一般に美的経験と呼びます。それらの作品または美的経験自体の質の重なりが優れていることが、美学的な成功をしていると捉えられます。

 人の思考実験として致命的なことは、何かしらの考えについて正解があると思い込んでしまい、それが解決したとして二度と考えを張り巡らさなくなることです。凝り固まった価値観と考え方を更新しない限り、美学的な成功と言える経験を重ねていくことはできないことを感じます。

美学的な成功を兼ね備えた上でアートを捉えることで、美的実在論で論じられるアートの概念、意味の場の形成、ラディカルな自律を見出すことができるでしょう。

 所謂、カント的美学やアートワールドに規定されるような市場的見方、そうした観点から脱却できる良い機会でした。
SNSに残す記録は来年の自分だけが分かるエクリチュールで十分で、且つパロールで人と分かりあうことも唯の気の所為なので、敢えて例も出さずに遺しておきます。意見が違うことはあっても、理解できないことはない筈。

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