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「夏の雲は忘れない」を思い出しながら、脱炭素について考える日

 「げんしばくだんがおちると ひるがよるになって ひとはおばけになる」(小学3年、坂本はつみ)

 毎年、この日は「夏の雲は忘れない」を思い出しながら、小学生の頃に祖母に連れられて原爆ドームへ行った記憶を手繰り寄せる。

 幼少期に原爆ドームを訪れた経験は、詳細は思い出せないのだけれど、今の自分の二割くらいを形作ったと思っています。
 ある種、誕生日以上に、自分自身と世界との繋がりを意識する日かもしれません。戦争という歴史、平和である自分の周りの世界、内戦、未来でのリスク、様々な価値観が複雑に絡み合いながらも、平和な時代を謳歌出来ている事に先人への畏敬の念を抱かざるを得ません。


 最近は、ESG投資という言葉もSDGs並みに聞くようになり、サステイナブルという言葉を耳にするのが当たり前になりました。リスクを取った新しい持続可能な開発というよりも、既存事業にそうした言葉を当てはめているだけの事は本当に多いので、具体的な脱炭素に向けた活動には興味が尽きません。

 このタイトルはちょっと吊りだなとは感じますが、過去の事故や失敗から、倫理観も技術も大きく進歩している事は常に知っておく必要があるなと思います。思考停止になって更なる惨劇を繰り返さないように。

 とはいえ、全員が賛同する必要のある事なんて殆ど無いと思いますし、論理と感情はいつも仲が悪くなりやすいので、自分の中だけでそっとしまっておくような事かとも思います。長崎や広島の被爆者の方々にはこんな話をする必要もありません。

 常に自分が当事者だったらどうするか、という事を考えながら、極端に悲観的になる事はないようにしていきたいものです。
 小学生の頃に訪れた広島の地に、いつか子供を連れていくだろうし、村上隆の「原発を見に行くよ」を見せるだろうと、身の回りの未来について考える1日でした。

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