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知る前の自分に戻れない感覚が楽しい。

 深く知ると面白い事がある、というよりは深く知れば大抵の事は面白く出来るものだなと思うこの頃。それはそのもの自体の魅力、というよりも知る前と知った後の「差異」の大きさが影響しているように思う。予測不可能な事ほどその「差異」は大きい。ここで思う差異というのは、自分と外のものにある差分の事ではなくて、知る前の自分と知った後の自分が別物と考えた時の差分としての「差異」という感覚。

 対人においてもそれはそうで、自分が知らない事を知っている(経験している)人と関わると時間を忘れる事もしばしばある。そこにあるのは、自分と他人との「差異」だと感じていて、この「差異」を楽しめる事が世間様の言う「多様性」の受容に繋がるとも考えている。

 「差異」は自分の中だけでも楽しむ事が出来て、例えば茶道を習う前までの自分と習った後の自分には「差異」が生まれていて、ここに面白さがあると感じている。そして記憶喪失にでもならない限りこの差異は消える事がなく、差異が消えるとしたらまた更にそれを更新し続けた時だけ。

 お笑い芸人のかまいたちさんのネタで、「となりのトトロ」を見てない優越感をアピールしているのが面白いネタがあるけど、あれもそうだなと感じる。見た後は、見る前の自分には戻る事が無い、その差異を楽しむ事もあれば、見た後にどんな差異が生まれるのか想像する事も面白い。

 逆にこの差異が生まれようのない、所謂ルーティンだけの日常を過ごしているとつまらなくなる時がある。そしてそんな日常に生じる差異というのは大体サプライズに嫌な事が多い。意図的に作り出す事と押し付けられる事の間には深い断絶があるように思う。

 唯、意図的に作り出せる差異というのも、大抵は自分の想像の範囲内に収まってしまう事が年を重なるほどに増えていく。と考えると、サプライズに押し付けられる差異こそ楽しむ余地があるのかもしれない。仮に明日酷い不幸が降りかかったてきたとしても、今日の平穏な日常との差異を楽しむ事が出来るのならそれも面白いかもしれない。

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