『デタラメ』について考える
風呂に入りながら、ふと思った。
人は他人のデタラメを見るためにいくらまで払えるのか?
また、はたして人は、いくら受け取ればデタラメをやるのか、と。
しかし、そう思ったことと、この記事、あるいはマガジンとの間に因果関係は全くない。
とにかく、ただただ、デタラメをやりたくなったのである。
300日以上欠かさずnoteを更新してはいるが、もはや日々のそれは脳のエクササイズ、あるいは日常生活の中の習慣でしかない。毎日コンスタントに書き続ける、という最低限のルーティーンがあるた