ハタヨガについて
ハタヨガとは何か?
一般的に体を動かすヨガのことをハタヨガといいます。
スポーツクラブやヨガスタジオで行っているグループレッスンのほとんどはハタヨガと言われるものです。
初心者からはじめて少しずつ慣れてくると、ある疑問が湧いてきます。
「そもそもハタヨガって何?ヨガって何??」という疑問です。
ヨガインストラクターやヨガ上級者でなくても、ハタヨガの意味を知ることは大切です。意味を知ることで練習の質が上がるからです。逆に言えば、ハタヨガの意味を知らないまま練習を行っているとヨガ本来の目的や効果からズレてしまっている可能性があります。
結論を先にお伝えすると、簡単に言えばハタヨガとは…
【今の自分なりに心地よく力強い状態でポーズをとること】です。
指導歴11年、レッスン数10000を超える経験をしてきたヨガインストラクターがハタヨガについてより詳しく解説していきます。
ヨガの歴史
ユジュ「yuj」を語源とした言葉。
ユジュには、「馬にくびきをつける」「馬と馬車を繋ぐ」「結合する」などの意味がある。
「カータカ・ウパニシャッド」(B.C.500~200頃)の中で感覚に左右されない為の心統一の方法としてヨーガ「yoga」という言葉が出てくる。
ヨーガ・スートラ(B.C.200~A.D.500頃)を教典とするインドの哲学の一つ。
古典ヨガは真の自己(プルシャ)と物質的なもの(プラクリティ)から切り離し解脱を目的とする。
その為の在り方や瞑想の方法について書かれている。
10世紀ごろハタ・ヨーガ(ポーズをとるヨガ)が起こる。
それまで軽視されてきた肉体も聖なるものとして扱う様になる。
しかし、現代の様なポーズをとる訳ではない。
16世紀に書かれたハタ・ヨーガの代表的な教典「ハタ・ヨーガ・プラディーピカ―」の中で紹介されているポーズは15で、その中で優れたポーズとして挙げられている4つのポーズは瞑想の時の座り方を紹介している。
(参考文献:ヨーガ事典 成瀬貴良著)
ざっくりいうと、ヨガとは。
「解脱が目的で、その為の方法として瞑想を行う事」
って感じになります。
現代のハタヨガのイメージと結構違いますね。
なぜどんどん体を動かすようになっていたかというと、瞑想の時の体の不快感をとる為です。
体の不快感があると意識がそちらに引っ張られて瞑想に集中できない為、体を整える方法としてハタヨガをするようになったのです。
ハタヨガのサンスクリット語での元々の意味とは?
ヨガとは?
先の段落でも紹介していますが、Yoga の元々の意味はyujというサンスクリット語です。
yuj →「くびきにかける=大きな動物を台車と繋ぐ」
「装着する=お供え物の動物をポールとロープで繋いでおく」。
転じて、「その状態が続いている」→「Yoga=結合」「Yoga=思考と五感を繋ぐもの」という意味になっています。
ハタとは?
Hathaの意味はなんでしょう。
サンスクリット語を直訳では
「無理やり」→「継続的な意志を持って取り組む事」
「暴力的に」→「暴力的な程の劇的な変化があるもの」
現代では「太陽と月」「陰と陽」「男と女」などと対極のものを象徴する意味で捉えられています。
そこからハタヨガとは「二つの相反するものを統合する方法」→「心と体をを整える方法」と言えます。
現代のハタヨガの問題点
「ハタヨガ」とは「ポーズをとるヨガ」で間違いはないのですが、現代においてそれが問題になることがあります。
それは、時として、ポーズが主でそこに自分を押し込める結果になることです。
自分の心身を整えることよりも、多少無理をしてもポーズの形を追うことを優先してしまいがちだからです。
そうではなく、「ポーズを通じて心身の意識を全体のまとまった完成されたものに持っていくこと」をしたいです。
練習の視点で言えば、「ポーズを、今の自分なりに心地よく力強い状態でとること」。
この原則さえ忘れなければ、ポーズは必ず深まるし、ポーズを通じて良い多くの恩恵を受けられる様になりますよ。
ヨガ哲学からハタヨガを考える
ここでヨガ哲学からハタヨガを考えてみましょう。
ヨーガシュ・チッタ・ヴリッティ・ニローダ[ハ]
という、ヨギーであれば有名なヨーガ・スートラの一節があります。
日本語では「ヨガとは心の揺らぎを止めるものである」と訳されているものが多いです。
これは方法としてのヨガを表していますね。
一般的にはこれが広く知られています
実は、ちょっと違う訳し方も存在します。
それは、 「ヨガとは心の揺らぎが止まった時に現れる」という訳です。
これは状態としてのヨガを表しています。
したがって、ヨガには2つの側面があるということです。
『状態のヨガ』と『方法のヨガ』の2つです。
さて、これ、面白いと思いませんか??
どっちをとるかで取り組みに微妙な差がでます。
例えばこのポーズ。
木のポーズ(ヴリクシャーサナ)。
方法のヨガで言えば、このポーズで何とか揺れない様に押さえつけようとしそうです。
だって、揺らぎを押さえるべきもののはずですものね。
「たった今」この場でやりたくなってしまいます。
でも、状態のヨガであればどうでしょう?
この揺れが止まった時にヨガという状態が現れるのであれば。。。
強引に止めるのではなく、自然と揺れが止まる状況を作ろうと考えやすくなります。
「その時」が来るまで待つことも出来るのではないでしょうか?
もちろん、拡大解釈であり、僕のさじ加減による話です。
でも、ちょっと分かる気はしませんか??
実際にどう捉えるかはその人次第で良いと思います。
ただ、哲学を学問的にとらえるだけでなく、こんな感じでポーズの練習やそこから更に日常生活に関連して考えてみると哲学の勉強ももっと楽しくなりますよ。
また、ヨガ哲学と体を動かすハタヨガが決して別々のものではないこともご理解いただけるかと思います。
状態としての「ヨガ」に至る為に、方法としての「ヨガ」を使う。
そう考えると、状態としての「ヨガ」も、方法としての「ヨガ」も、その人の設定するヨガによって変わって当然なんですよね。
ヨガをどう活かす?
古典ヨガの考え方なら。
状態としての「ヨガ」は「プルシャ=真の自己」。
方法としての「ヨガ」は「プラクリティ=物質世界の影響」を取り除く為の瞑想。
こんな感じです。
ただ、時代が違います。
「古典ヨガではこう考えてるみたいよ」って事を押さえながら、現代に合わせてアレンジしたら良いと思います。
「概念」としてなら。
状態としての「ヨガ」は「何かイイ感じの自分」。
方法としての「ヨガ」は「イイ感じになる為の何かイイ方法」。
くらいでイイんじゃないですかね。
具体的でいえば…
例えばダイエットしたい人なら。
状態としての「ヨガ」は「痩せている自分」。
方法としての「ヨガ」は「ホットヨガで筋肉を使って汗をかく事」
で良いし。
柔らかくなりたい人なら。
状態としての「ヨガ」は「開脚ができる自分」。
方法としての「ヨガ」は「効果的なストレッチ」
で良いし。
穏やかになりたい人なら。
状態としての「ヨガ」は「いつも笑っている自分」。
方法としての「ヨガ」はそれこそ「瞑想」
で良いですしね。
「ゴール設定」すれば方法は自然と見つかる
状態と方法はどっちも大切だと思っています。
例えば、このケース
柔らかくなりたい人なら。
状態としての「ヨガ」は「開脚ができる自分」。
方法としての「ヨガ」は「効果的なストレッチ」
で良いし。
で考えた場合。
状態の「ヨガ」を
「むりやりにでもいいから開脚ができる自分」に設定するか。
「楽に開脚ができる自分」に設定するか。
「楽に力強い開脚ができる自分」に設定するか
で、方法が変わってきます。
逆に、方法としての「ヨガ」での「効果的なストレッチ」を洗練させた結果、ゴール設定が変わる事もあります。
「痛いストレッチが効果的」だと思っていた人が、「緩やかで気持ち良いストレッチが効果的」だと気付いた瞬間から、ゴールに影響を与えます。
ともすれば、開脚がどうでも良くなる事もあります。
そして、方法のヨガが変わった結果、開脚以上のポーズがとれるようになる事もあります。
お互いに関係し合ってますからね。
「ヨガが上達する」とは?
ヨガに詳しくなったり、ポーズが上達する事は素晴らしい事です。だけど、それはヨガの目的ではないと思っています。
ヨガの目的は、ヨガに取り組む事で人生をより充実させる事です。
瞑想に詳しくて、キレイなポーズがとれて、いつも不機嫌でイライラしている人より。
マントラは一つも知らないし、前屈で床に手が着かないけど、いつも楽しそうでニコニコしている人の方が、上手にヨガに取り組めています。
まとめ
ハタヨガとは
【今の自分なりに心地よく力強い状態でポーズをとること】
です。
これは逆言えば、
【ポーズをとった時に心身が気持ち良くなる為の何かを探すこと】
です。
そして、心身が気持ち良くなるポイントを探すことは、どのポーズの練習でも当てはまるだけでなく、ダイエットや人生での多くの場面に応用できます。
これがヨガが人生に大きな影響を与えられる要因です。
難しいストレッチでも、キツイ筋トレでもない、ハタヨガをしましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。