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職場の同僚Kがメンタルで倒れるのにその他大勢として黙視した自分



週明けの月曜、職場の同僚Kからいきなり、「しばらく休みます」のメール。

聞いたところ、精神的な限界で、しばらく休みたいと申し出があったと知る。

Kは私と同じプロジェクトメンバーで、一緒にやってきた同僚であり、Kは常々自らの限界を訴えていた。

Kは真面目で素直な性格な為、常に「いい人」扱いされていた。Kが職場で真剣に怒った姿を見たことがない。いつもニコニコして、誰からの仕事依頼も断らないので、嫌な仕事を押し付けられても渋々受けていた。

しかし、限界を超えた仕事を割り振られて、さすがに泣き言を僕に言うことが多くなった。どう考えても無理な仕事量を割り振られていた。僕はそんなKを見て「もう逃げた方がいい。適当にサボれ。」と言ったが、Kは逃げることができなかった。

Kの真面目で素直で純粋な性格は、社内の「その他大勢」の人間からすれば、絶好の狙い目となった。

新規事業というのは、組織の枠におさまらない多くのな仕事が発生する。保守的な縦割り文化の組織では、新たに生じた、追加の仕事は引き受けられず、縦割りの組織からははじき出されやすい。そんな誰もやりたがらない仕事をKは割り当てられていたのだ。

ズルい人間は真面目な人間を利用する。

Kは面倒くさい仕事をやらされるターゲットにされたのだ。

そんなKに対して、僕は深入りしなかった。「あんまり無理するな。時にはサボれ。逃げろ。」と声をかけたものの、本気で彼を助けるアクションを取らなかった。 

僕がKに肩入れしなかったのは、僕自身も逃げたからだ。

僕自身も過去、(今から振り返ると)人に利用された時期があった。新たな組織、新たな上司の下、よく思われたいが為に、周囲の言うことを何でも受け入れ、必死に生きていた。

その結果、周囲の人に振り回されるだけ振り回されて、結局は自分が疲れ果てて、自律神経失調症にたどりついた。

必死に働いて自分が体調を壊し、その結果、精神病院の扉を叩き、治療代も払い、多少の薬も飲んだ。その時に、自分がよく思われようと思っていた当の相手の人たちは、自分にとって何の助けにもならない、ということに気付いた。

僕の治療代を負担してくれる訳ではない、電話一本かけてこない。メールすらこない。

その時に気付いた。あれほど尽くした相手が、僕が苦しい時には全く心の支えになってくれない、という現実。

頑張って期待に応えようとした相手は、単に僕を利用しようとしただけだったのか。

そんな時に出会ったのが、社会学者 加藤諦三先生の書物だった。

  加藤諦三著 心の休ませ方ー「つらい時」をやり過ごす心理学

まじめで疲れた人には一度でもいいから、読んでもらいたい。

僕はこの本に支えられた。自分の心の支えは、自分が本気で考える必要がある。

こんな自分が、Kが困っている時に対して助けになれなかった。

僕のズルさだ。僕も僕自身で精いっぱいなのだ。

Kは直属の上司Xに「これ以上の仕事を引き受けるのは無理。何とか人を増やして欲しい。」との申し入れをしていたが、上司は彼の悲鳴には一向に耳を貸さず、「うるさい。やれ。」の一点張りだった。

この上司 Xは普段から「コロナは風邪だ。気にせず出てこい。俺は絶対にコロナにはならないぞ。」と吠え続けている輩。

Kは逃げずに真面目に耐え続けた。無茶な指示や仕事依頼をスルーせず、ひたすら受け止め続けた。「無理です。」と言いながらも決して怒りもせず、反抗もせず、受け止めた。

そんなKに対し、「その他大勢」の人たちが笑って、Kに無理な仕事を押し付けるのを知りながら、自分の身に降りかからないように深く関わらない自分がいた。

僕も所詮、その他大勢なのだ。Kの愚痴を聞くことはできたが、具体的なアクションを取らなかった。

結局、Kは真面目に職場で勤務し続け、そしてある日突然メンタルで会社に来なくなった。

Kには申し訳ない。

一方で、今週も、会社は日常通り動いていく、という現実。Kに対して、手助けをしよう、申し訳なかった、という動きは表れていない。

集団というのは本当に怖い。

「その他大勢」の人たちは、まるで、Kが以前からいなかったように生きている。Kに仕事を押し付けていたことを、何ら悪気に思うでもなく、普通に暮らしている。

大きな組織において、所詮、人は歯車でしかないのかもしれない。皆、その組織から振り落とされないように必死に生きているのだろうか。

「その他大勢」も許せないし、それを見てみぬフリをしていた自分も情けない。大人のイジメに加担していただけではないのか。

こんなことがあって、ただただ周りに同調する組織人の生き方に嫌気がさした。誰が倒れても知らんぷりをする組織、というのは本当に恐ろしい。

僕は今働いている組織に魅力を感じない。誰もが自分の身を案じ、他人への無関心が無関心を助長し、社内で疲れている人を見ても助けようとしない。何とかしたいのだが、でも何ともならない。独りでは変えられない。

どうしたらいいのか? ひとはもっと楽しく働くことはできないのか。人と人が支え合うコミュニティを作る、ということは難しいことなのか。

人に冷たい社会が結局は、弱い者へしわ寄せがいく構造になっているのではないか。何とかこの状況を変えたいのだが、力が無い。悔しいが何もできない。無力な自分を痛感する。これが僕が週末ボランティアを始めたきっかけである。 







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