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ブレイクタイムを取りました

先週1週間 note の掲載をお休みしました。最近のJリーグにある ”飲水タイム” のようなものですね。

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2月下旬に note に作文の掲載を始め、3月末までに19編を掲載した。この間、細君による事前検閲により 2編は ”掲載見送り” ボツになった。

最初の投稿 ”はじめましてがんち父です” に書いたように、私がこの作文と称する書きものを始めたのは「何か日本語を書いていなきゃ、思考能力が落ちて日本語が書けなくなってしまう、話せなくなってしまう」という危機感を抱く出来事があり、それへの対策案としてだった。

誰かに読んでもらうことなど毛頭思っていなかったし、SNS未経験で情報最弱者の私は、公開できる場があるとはつゆぞ知らなかった。とにかく「書かなきゃ」の思いだけで作文を始めた。エッセイ風、日記風、論評風、クレームなど種類は様々。誰に向けて書いているのかも不明で、文体に統一感も無かった。読まれることを考えていなかったので、何にも遠慮せず、誰に阿ることもない直球の文章を書いていた。

以前も書いたのでここで経緯には触れないが、以降いろいろあって、我が拙文を note に公開することになった。自室に籠って書いてきた独りよがりの作文を公開するには、大掛かりなリフォームが必要だった。しかし、不特定の見ず知らずの方が読んでくれて、気に入ったら ”スキ” とまで言ってくれることに、今まで経験したことのない快感を覚えた。

そして先週はじめ。そろそろ新しく何か挙げようかと、いくつかの下書きやメモを見ていたのだが、どれもピンと来なくて行き詰まってしまった。そうこうしていると、いろんな疑問が浮かんできた。”書くべき主題を決めなきゃいけないんじゃないのか”  ”本当に書きたいこと、伝えたいことがあるのか”  ”そもそも何で書いてるのか”  ‥‥

そんなこんなで掲載を一日延ばしにしていた時に、家に来た息子から「お父さんの年齢(境遇)から見た現在の音楽などの流行を率直に論評してみたら面白いんじゃない」とアドバイスがあった。また昨日は、日光の古い友人鈴木 (3/4投稿の”一隅を照らす”に登場しています) から、私の note の作文に対する ”読書感想文” が届いた。そこには、私の作文をキッカケにして来し方を振り返ったり、今思うところ信じるところが綴られていた。嬉しかった。

そうか。プロでもないし、実力もないのにスランプ気取りしていたな。まだしばらくは、書きたいことを率直に、多少の抑制を効かせて (これは細君の検閲に任せる) 書いていこう。

65才、”老人社会一年生” ”新米前期高齢者” からの視点で、我々自身はどう生きていくのか、また人や社会や芸術に対する私の考えや感想を、決して諧謔を忘れることなく書き続けてみようと思う。

< 了 >


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