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武漢という街

私の作文のいくつかに、”1年前に中国から帰国した” と書いた。そこに具体的な都市名は記載していなかったが、私が暮らしていた街は武漢だ。これまでは、病禍の拡大と終息の兆しが見えない状況が続き、武漢の名を口にすることは憚られるような気がして、敢えて触れずに過ごしてきた。

私は化学品メーカーを62才で退職した。60才の定年後2年延長して勤めた後に、先の予定も無いままに引退した。辞めてからほどなくして、古巣の会社の中国現地法人から復職のコールをもらった。これまで縁もゆかりも無かった中国という国、今さらこの齢で海外での単身赴任というネガティブ要因もあったが、それ以上に、この老兵を必要としてくれる熱心な誘いが嬉しくて、受けることに決めた。その勤務地が武漢だった。

そして、2019年3月に武漢へ赴任し、都市封鎖される2020年1月23日に帰国するまでの約10ヶ月を、武漢で暮らした。都市封鎖の後に会社を離れることにしたため、その後武漢には戻っていない。短い滞在ではあったが、私が感じた武漢について書いてみたい。

武漢は湖北省の省都、華中地域の中心都市で人口は約1,100万人。街の南西から北東へ長江が斜めに貫いている。その真ん中に西から長江最大の支流である漢水が合流して、街が3分割されている。長江の東が武昌地区で教育・政治の中心、長江の西で漢水より北の漢口地区は商業地域、その南が漢陽地区で工場地帯というように、川が機能を分けている。長江は武漢を過ぎると東に向かい、南京を経て上海で東シナ海に到達する。

武漢は中国中央部の交通の要衝だ。そんな背景もあり、自動車産業の集積地となっている。東風汽車は武漢に本社を置き、日産、本田、ルノーは東風との合弁で自動車を製造している。別の側面として、武漢は学園都市でたくさんの学校が有り、中国で一番大学生が多くいる街だそうだ。他の地方からは、”武漢人は頭が良い” とされているという。

短期間だったが、私が付き合った武漢の人々は、おしなべて皆やさしく、思いやりがあった。人が良くて世話好きだと思ったが、プライドが高くて頑固なところも特徴らしい。公共の場での振る舞いや話し方、ファッションは今一つあか抜けない感じで、上海や広州の雰囲気とは明らかに異なる。

私はずっと昔に抱いた同じような感覚を思い出した。今から45年前、私は東京の大学に入り名古屋から上京した。夏休みや冬休みに帰省して名古屋の街を歩いたり、地下鉄に乗ったりすると、流行面で明らかに東京とギャップがあった。エセ東京人の私は、勘違いの優越感を持ったりもした。

その後社会人になり、出張でいくつかの地方都市に行った。30年程前は、いわゆる大都会と地方都市には、確実に時差が存在していた。しかし最近ではそんなタイムラグは全く無くなった。かつて流行の伝達には一定の時間を要したものが、現代の日本で情報は一瞬のうちに伝わるようだ。

話を戻すと、武漢は昔の日本の地方都市の香りがあり、地方都市育ちの私には、その不器用さや、あか抜けない感じも愛おしく思えた。あともう1年は、そんな雰囲気に浸って暮らそうと思っていたのに、まさかの病禍によって追い払われてしまったことは、返す返すも残念なことだ。

武漢生まれで武漢育ち、普段から武漢愛を語っていた日本語ができる同僚女性が、新型コロナ肺炎が喧伝され始めた昨年初め「こんなことで武漢が有名になっちゃう‥」と悲しそうに呟いていた姿が忘れられない。

いずれまた別稿で、”コロナ前夜の武漢”  ”武漢都市封鎖の日”  についても書こうと思っている。

長江クルーズで見た右に漢口、左に武昌の夜景は綺麗でした。

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※2020年1月23日から4月8日までの76日間、武漢は都市封鎖されました。自由が奪われ、また先が見えない状況を、武漢市民はどう乗り越えたのか。武漢在住の作家 方方(Fang Fang)氏による記録が出版されています。

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