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ここらへんの史跡をゆく② ~長篠・設楽原

「ここらへんの史跡をゆく」シリーズの第二回は、"長篠・設楽原の戦い" 。第一回の "桶狭間の戦い" に続き、織田信長と徳川家康にとっての重要なターニングポイントを取り上げる。

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戦いの舞台は愛知県新城市。新城(しんしろ)は愛知県北東の県境。すぐお隣り静岡県まで足を延ばして、"さわやか" のハンバーグを食べてから向かうことにした。‥と「ついでに食べた」ように書いたが実のところ、これが食べたかったからテーマを "長篠・設楽原" にしたというのが正しい。

私はここのハンバーグは日本一だと思っているのだが、頑なに静岡県内のみの店舗展開 (現在御殿場市から湖西市までの34店舗) 方針を崩さない。他県の人は静岡領内に入らねば食べられない。ひさびさの "げんこつハンバーグ" は感動的に美味かった。※皆さん黙食で味わっておられました。

定番のオニオンソース

"さわやか" で満ち足りたあと、とびっきりの晴天の下(もと)、井伊家発祥の地 "井伊谷" を抜けて長篠へ車を走らせた。

遠江~奥三河 広域図

まず長篠・設楽原の戦い(以降長篠の戦いと記す)のおさらいをしよう。1560年の桶狭間の戦いに敗れた今川氏は急速に力を失い、駿河、遠江は武田信玄率いる武田家が、そして三河平野部は徳川家が治めるようになる。奥三河は二つの勢力の境界線であり、ことに交通の要衝に位置する長篠城は何度も争奪戦が繰り広げられた。

長篠の戦いを遡ること2年、1573年の三方原の戦いでは、徳川家康が武田信玄に完敗を喫し、ほうほうの体(てい)で浜松城に逃げ帰った。"家康 人生最大の危機" と言われている。その後武田軍は三河まで迫ったが、信玄の病が悪化し甲斐への撤退を決める。その帰路の途中信玄は亡くなっている。

長篠・設楽原の戦い 陣形図

1575年5月 信玄の跡を継いだ武田勝頼は、1万5,000人の軍を率いて長篠城を包囲した。徳川方の城主 奥平貞昌はわずか500人の兵で、織田・徳川連合軍38,000人の到着まで持ちこたえた。連合軍は到着後すぐに武田軍の砦を奇襲して長篠城を救出。そして城の3km西の設楽原で両軍は対決した。土塁と柵などの強固な陣と布陣(配置)の妙、多数の鉄砲を備えた連合軍が優位に展開し、武田軍は敗走した。この勝利で織田信長は "東方の憂い" から解放され「天下人」として台頭していく。一方の武田氏は敗戦のあと一気に衰退した。1582年 信長の甲斐侵攻によって平安時代から続く名門 "甲斐武田" は、長い歴史に終止符を打った。

以上が長篠の戦いの概略。私は初めて "長篠城址" と "設楽原歴史資料館" を訪れたのだが‥  この地の主役は織田信長でもなく徳川家康でもなく武田勝頼でもなかった。 主役は "鳥居強右衛門" という人物なのだ! "とりい すねえもん" と読む。歴史好きの方はご存じなのだろうが私は知らなかった。長篠はあちらこちら "すねえもん" だらけだった。

いきなり案内看板に迎えられ、逆さに磔(はりつけ)された全身真っ赤な下帯姿のイラストは、なかなかの衝撃だ。彼の別称は「日本一有名な足軽」「神になった足軽」「戦国時代の走れメロス」だそうだ。

その逸話は次のとおり。"すねえもん" は時の長篠城主 奥平家に仕える足軽。武田軍の包囲網をかいくぐり、50kmも先の岡崎城に走り徳川家康に援軍を要請した。「家康殿承知」の旨を伝えるために長篠城に取って返したが、寸前で武田軍に捕らえられ「援軍は来ぬと城内に伝えよ。さすれば貴殿の命を助け武田家が厚遇で召し抱える。」と提案される。"すねえもん" は懐柔されたふりをしたが、川を隔てた長篠城に向かって「まもなく援軍が来る!今暫く持ち堪(こた)えよ!」と叫んだ。 "すねえもん" は即座に処刑された。しかしその報に城内の兵は奮い立ち、援軍が来るまでの2日間城を守り抜いた。

典型的な "武士の鑑" ばなしだ。"すねえもん" の鳥居家は代々奥平家に仕え、江戸時代には家老職にも就いたそうだ。

こんなキャラもいるようです。

調べていると「この話知ってる気がする。遠い昔にテレビで見たことがあるような‥」と記憶が甦ってきた。大河ドラマに当たりを付けて調べると、1965年に "太閤記" が放映されていることが判った。更にWikipedia でキャストを当たると、"鳥居強右衛門:北村和夫" とあった。そうか、小学校3年生の私は白黒テレビでこれを見ていたんだなぁ~きっと。

緒形拳さん主演 大河ドラマ "太閤記" (1965年)

来年2023年の大河は、松本潤さん主演の「どうする家康」が決まっている。"すねえもん" のエピソードに一話は割(さ)くのではないか。私が好きな古沢良太さんがどう脚色するのか楽しみだ。そして "すねえもん" は誰が演じるのだろう。私の予想は柄本佑さんか濱田岳さん、大穴で小出恵介さんとしておく。

今回私の長篠・設楽原行は図らずも "すねえもん" 一色になってしまったが、戦いの資料を読むにつけ気になってきたのは、敗軍の将武田勝頼だ。信玄の庶子として生まれた勝頼が、故有って跡継ぎとなり父の大事業を引き継ぐことになった。しかし家中をまとめ切れず、運命に弄ばれるかのようにお家滅亡に至らしめてしまった。そのメカニズムと勝頼の胸中を覗いてみたい。その辺りを少し調べてみようと思う。

< 了 >

長篠城址史跡保存館
設楽原歴史資料館
設楽原歴史資料館の屋上から戦場跡を臨む。
木立の向こう側の平坦なところが主戦場。


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