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「私の3.11」と「Yシャツ刺繍」

【ご挨拶】 本日はお忙しいなか、ご来廊を頂きまして 誠に有り難うございます。ごゆっくりご高覧下さいませ。あるひとりの戦争経験者の話として、
長文ですが、ご挨拶代わりに ご一読いただければ幸いです。

【私の3.11】 昭和20年3月11日 江戸川区平井に住んでいました。国民学校5年生。3月10日の東京大空襲、江東区の空が、真っ赤にB29が去りほっと一息、床に入って微唾んだ間もなく、残っていたB29から焼夷弾が落とされました。私の係は、先祖のお位牌を持つことでした。お隣の小母さん達と(男性たちは戦地に行って留守)中川の土手に逃げました。手提げの中のお位牌のカタカタ音は今も耳の奥にあります。土手の上は一杯の人、人、人で座る処もなく、すごい煙の中を這うようにして行くと、煙の中から向こうに行っても火の海でダメだ、、と言われそこしか居るところがありません。母、次兄、弟、私4人で夜が明けるのを待ちました。
家の後に戻ったら跡形もなくお鍋が一つ転がっていました。浅草橋に居る父の所に取りあえず行こうということで、歩き始めましたが、途中の凄惨な光景は忘れられません。空を見上げるとオレンジ色の点、あれ何?煙の中の太陽でした。途中の川の枕木が焦げて水の流れが怖くて渡れません。大学生らしきお兄さんが抱えて渡らせてくれました。私の2番目の好きな人です。
8月15日終戦、真っ青な空、さんさんと輝く太陽の中、わー!!っと叫びながら軍刀を振りかざした兵隊さん。食べるものも何もないけど、空襲もなく静かな暮らしとなりました。中学2年生の兄が、学徒動員さきの焼け跡から持って帰ってきてくれた、焦げたお米の美味しかったこと。
今 私は87歳。親、兄、弟みんな居なくなり一人となりました。
二度とこの様な時代が来ませんようにと体験をしたためました。
                            山田 悦子

現在、個展開催中の山田悦子〜糸のコラージュ展の山田さんの挨拶文です。掲載の作品は、ご主人がサラリーマン時代に着ていた「Yシャツ」すべてに手縫いでイニシャルを入れ、それを囲むひとつひとつに、Yシャツの色に合わせて刺繍を施していたそうです。ご主人が亡くなられた後にそのYシャツの刺繍部分を小さくカットして、1枚1枚額に並べて作品にしました。こんなに心のこもった作品は、世界にふたつとないと思います、和みます!個展の打ち合わせ中に「主人が生きていたら、とても喜んでくれたはず...」とおっしゃったので、それなら、ご主人の写真をこの作品の側に置きましょう、となり写真を持ってきてもらい、一緒に個展を楽しんでおります^0^

山田さんは、年だし作品にも自信ないし・・と最初はおっしゃっていましたが、展示作業の途中に、壁に作品がかかっていくのを見ているうちに「作品が喜んでいる、うちで見るより生き生きとしてきた」と「(個展を)やって良かったわ」とも。とても喜んで下さいました。私たちも、長年作品を作り続けてこられた作家さんが、集大成として、充分満足いただける展示になった事はとても嬉しい限りです。つくづく、作品は展示する事も大事ですし、またその作品を観に来ていただく方々も大事です。本日初日から、来廊者が途絶える事はありません。2021年6月27日(日)16時まで開催中です。個々の作品は、インスタ(gallery_bian)で配信しております。抽象画の好きな方には、とても楽しめる作品がそろっています、どうぞお越し下さいませ。