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2015年4月の話


***

もう「調整」は散々やってきた。

もう調整に逃げてはいけない。

このままだと、自分の人生のタイトルはこうなってしまうし、
「広告マンがこっそり教える超!調整術」
「あなたも明日からできる7つの調整方法」

あだ名も「調整くん」だ。

次は自分のやりたい事を
図々しくやっていくという事から
逃げずにやっていこうと思う。逃げない。

じゃ、何がやりたいのか。
誰がなんと言おうと、これや!というものは何なのか。

もしくは、こういう暮らしをしてたら
楽しいし、ハッピーだというものは何なのか。

この際、いっそ全部書き出してみようと思う。

ぐちゃぐちゃですが、

毎日7時には起きて、

家は静かで日当りがよく、天井が高く、緑が多く、
手作りの料理が食べれて、いい感じの音楽が流れていて、

車は何がしかの小型の角張った外車に乗っていて
(フィアットのパンダも好きだけど壊れやすい)

実家の「富川屋」を東京にいながらも何かの形で継いでいて
(これ、ホント今年カタチにしたいなー)

夏は長岡花火の運営に関わっていて、
1ヶ月ぐらい実家?で生活して、

夜は20時くらいで仕事を終えて、
黒いリュックを背負って、
トーキョーバイクのチャリで会社から帰って

京都に別荘を持っていて、
ひとりでたまに京都にこもったりして(糸井重里的な)

髪は相変わらず三茶のBARRIQUANDで切って、
マスターと話して

できるだけ地域の仕事をして、
その場所で美味しいものと、温泉に入って

家には大きいスピーカーがあって
ステレオの効いた音楽が流れてて

野球もちゃんとチームに所属していて
毎日チューブトレーニング、週1でジムには通っていて

仲間とハイタッチして、お客さんと握手して

一回の仕事が終わる度に
「このチームで良かった!」と泣いて、

太刀川さん(面識ナシ)のこのプロジェクト手伝ってて、
これはやりたいんだよなー
http://logmi.jp/3047

地域の何かや、古いものが、
きちんと良いものであると、
伝わるような事を仕事にしていて、

流行ものや量を追わないで、
古くても本質的な事、質の良いことと
向き合った仕事をして、

親といる時間を大切にして
帰れるときは実家に帰って、
山菜をとって、山登りに付き合って
音楽や本の話をして、東京の話をして

毎年、沖縄に行って、
海外旅行にも行って、

***


2015年4月4日。



いまから2年以上前のブログ
自分は上のような理想の暮らしを書いていた。

毎年沖縄にも行ってないし
京都に別荘も持ってないが(今はいらない)、
気づけば7割ぐらいは実現している。

このブログをトイレに貼って
毎日音読していたわけでもなく
存在自体全く忘れていたけども、
こうして見ると、思い描いていた
方向に来ていて面白い。

当時は、会社のミッション達成の中で
頑張っていたものの、完全に自分の動機で
動ける環境ではなかったため、
悶々とした日々を送っていたように思う。
2014年にはじめた「ゆらしにきました」を読むと
28歳頃は、なかなか潜っている。


今は、こういう暮らしがしたい、
将来こうしたいというプランはあまりない。

目の前にあることに集中し、
それをひとつずつ形にしているような日々なので
先のことはわからない。けれど、これが
この先に繋がることは知っている。



最近知り合った80歳に近いおばあさんは
昭和44年から1日も休まずに1行日記を
続けているそうだ。特に誰に見せるわけでもなく。


自分はそこまで続かないと思うけど
何にせよコツコツやり続けていると
何かが生まれたり、繋がったりする
もんだなと思った。人生、フルーツ。

それではまた2年後にお会いしましょう。

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