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荒俣 宏「亡びゆく昭和の趣味家(すきもの)とカミの「恩寵」」

荒俣 宏(あらまた・ひろし)——作家・翻訳家・博物学者
1947年東京都生まれ。初の小説『帝都物語』が日本SF大賞を受賞し、翌年映画化もされシリーズ累計500万部を超える大ベストセラーとなる。89年『世界大博物図鑑 第2巻 魚類』でサントリー学芸賞受賞。膨大な知識を駆使してジャンルを超えた文筆活動を展開。著書・訳書多数。

 我が家はカミ屑に埋まっている。中には大切な書類や取材メモもあるはずだが、本物のゴミと交じりあって区別がつかない。たまに断捨離でもしたい気分になり、捨てようと拾い上げた紙束をよく見ると、年来さがしまわっていた重要資料だったりするので、捨てるのもこわい。最近もっと始末に悪くなったのが、パソコン内に散らかしたデータファイルの山だ。更新しつづけるうちにどれが最新か分からなくなっていくばかりだ。
 だが、このような“カミ地獄”に堕ちたそもそもの原因には、思い当たるふしがないわけではない。子どものころから深みにはまった興味が、特殊すぎたからだ。たとえば呪術の歴史、たとえば水族館の歴史……とにかく権威ある参考書が国内に見当たらぬようなマイナーな分野ばかり。それで雑誌や新聞の記事、あるいは本にならない原稿類を掘り返すしかなかった。
 それでも最初は古本屋巡りで満足できたのだ。わたしが古書集めを本格的に開始したのは、昭和三四年ごろ。東京の中央線沿線に位置する阿佐ヶ谷駅と荻窪駅のちょうど真ん中にあった日大二中という私立校に入学したときからである。当時その界隈は文人街で、井伏鱒二や伊藤整、また、上林暁、中島健蔵らが居住し、阿佐ヶ谷駅前の飲み屋で一緒に飲むといった、いわゆる「阿佐ヶ谷会」なるサロンがあった。じつは武蔵野を横断するように延びた中央線は、各駅が作家、文化人、サラリーマン、学生そして飲み屋で構成される文化的結界を築き、新宿にはじまって中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、三鷹といった駅ごとに独特なコミュニティが生まれていた。これを東京周辺の都市開発モデルに押し上げた建築家の高山英華も、阿佐ヶ谷あたりの住人である。したがって、昭和三四年発行の『中央沿線古書店案内図』(中央線古書会刊)を見ても、阿佐ヶ谷に十四店、荻窪に八店、西荻窪に十五店もの古本屋が名を連らね、八王子にいたる沿線で百店以上の古本屋が集結していたことが分かる。神田神保町に引けを取らない古本都市だった。

―『學鐙』2024年夏号 特集「私の原点、転換点」より―

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特集
荒俣 宏(作家・翻訳家・博物学者)★
内田 樹(神戸女学院大学名誉教授・凱風館館長)★
サリ・アガスティン(学校法人上智学院理事長)★
神田 さやこ(慶應義塾大学経済学部教授)★
米田 優峻(東京大学理学部情報科学科4年)★
安部 芳絵(工学院大学教授)★
小林 龍二(竹島水族館 館長)★
能町 みね子(文筆家・イラストレーター)★
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下道 基行(写真家・美術家)
梅中 美緒(建築エスノグラファー)
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渡辺 祐真(文筆家・書評家)
水上 文(文筆家 ・文芸批評家)
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丸善出版刊行物書評
浜田 敬子(ジャーナリスト・ 元アエラ編集長・ 前Business Insider Japan統括編集長)

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