井庭 崇「実践の言葉、パターン・ランゲージの世界」
「共に在る、共に生きる」というときに大切なことは、それぞれが考えていることを伝えるとともに、「実践」を共にすることであると、僕は思う。
人はそれぞれ考える存在であり、それぞれに好みや思想を持っている。それらは人によって違うので、自分の好みや思想がみんなにも当たり前だという前提に立つことはできない。だから、人々はいつも、語り合い、確かめ合うことが必要となる。実際、私たちは、日々誰かとコミュニケーションを交わし、関わり合い、協力しあって何かに取り組んだり、話し合ったりしている。生活や仕事、人生を成り立たせる「実践」を誰かと共有し、また協働している。そうであるからこそ、実践についての言葉が重要になるということを以下で述べていきたい。
まず話の前提となるのは、意識は「閉じている」ということであり、「閉じている」からこそ、言語が重要な役割を担うということである。まずはそこから見ていこう。
人は意識によって世界を捉え、認識しているが、実は自分の意識の外に出ることはできない。誰もが自分の意識のなかで世界を認識しているのだ。このことは、改めて指摘されると驚く人も多いのではないだろうか。人は、意識の原理上、自分の意識の外に出ることはできないのである。
―『學鐙』2023年秋号 特集「共に在る、共に生きる」より―
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