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知らない人にデリカを売れと言われる

◆2023年5月24日(水)

7:30起床

今日はヒシゲさんが紹介してくれたガイドが街案内してくれる予定だ。
11時にガイドさんと待ち合わせているので、それまでに色々と片付けなければ。

宿は今日でチェックアウトなので、まずは荷物の整理。
日本から持ってきたスーツケースとカバンをデリカへ移動。
デリカがパンパンになってしまった。

ついでに昨日ヒシゲさんに教えてもらった通りに、デリカのダッシュボードに電話番号を書いた付箋を貼り付けておいた。

それからロシア滞在に向けてルーブルを調達するため両替所へ。
ロシアは経済制裁でvisaとmasterが使えないのから事前にルーブルを用意する。
両替所行く途中で地元の学校の卒業式に遭遇したのでちょっとだけ参加してみた。

ボーイズ達、ツーブロック多くない…?

朝青龍に似ている人も発見。

両替所に着いてから気がついたけど換金するためのトゥグルクが残ってなかった。この時点で10時過ぎていたのでキャッシングするATM探しは諦めて宿に戻った。

宿でモンゴルにきて初めてシャワーを浴びた。
ハンドルをお湯側いっぱいに回しても33度くらいのぬるま湯しか出てこない。
そして排水溝が詰まっている。

一通り身体を洗ってシャワーを止めようとしたは急に40度くらいのちょうどいいお湯が出始めた。
なぜこのタイミング。笑

海外ならこれが普通か。

そして11時過ぎにガイドのエンジさんと合流。
彼女は本職が英語教師で副職が観光ガイド。

僕のために午後予定されていた授業を翌日に振り替えてくれたらしい。

エンジさんがデリカを見てみたいというので、駐車場でデリカをお披露目。
するとローカルのおじさんがいきなり話しかけてきた。

「○!※□◇#△!」
「???」
「○!※□◇#△!○!※□◇#△!」
「(1ミリも理解できん)」

エンジさんが通訳してくれる。

「デリカが駐車してるこのスペース、外壁工事があるから21時以降は駐車できないそうよ。おじさんはあなたが21時までに戻ってくるのか心配しているわ」
「観光案内が終わったらすぐ戻ってくるので大丈夫だと思います」
「なにかあってもあなたに電話がかかってくるだけだから大丈夫よ」

こういう時のためにもダッシュボードに電話番号をメモしておくようだ。

すぐにタクシーでお寺に移動。

いろいろ説明してもらったけどあんまり理解できなかった。
仏像がデカいという感想しかない。

「モンゴル人はお寺には頻繁にくるんですか?」
「人によるわね、私は去年は何回かきたわ」
「なぜですか?」
「父親が亡くなって寂しくて寂しくて仕方がなかったのよ」

エンジさんのお父さんは2回目のコロナワクチンを摂取したら体調が急変して亡くなってしまったという。

朝換金できなかったことをエンジさんに話したら両替所まで付き合ってくれることに。
1,500,000MNT(約59,000円)をルーブルに換金。
両替表には基軸通貨の米ドルが一番上にある。
国境を接している中国人民元と露ルーブルが上に方にあるのは繋がりが強いからだろう。

両替所の近所でそのまま昼を食べた。
このレストランは1940年代に建てられたようで内装はソ連式。

彼女はサラダを注文していたので思わず聞いてしまった。

「モンゴル人はあまり野菜を食べないイメージがあるんですけど実際どうですか?」
「あんまり食べないね、でも最近は西洋文化の影響を受けて野菜を食べる人が増えていると思うわ」

モンゴル人が野菜を食べないのは本当だった。

「実は5年前にアメリカ旅行するまで私はアボカドの存在すら知らなかったの、アボカドがスーパーで買えるようになったのも数年前からよ」

エンジさんはアボカドを知らずに育っていた。

ランチを食べ終わったらチンギスハーン広場へ。
卒業式の学生でごった返していた。

モンゴル(ウランバール?)の学生は学校で卒業式をした後にチンギスハーン広場に集まって記念撮影するらしい。
エンジさんも卒業式の日はここにきて写真撮影したと言っている。

学生に混じって記念撮影(?)に参加。

シベリア抑留の日本人捕虜が建設した国会議事堂とオペラ劇場も見学できたので満足。
ガイドのエンジさんは日本人がこれらを建設したことは知らなかった。
学校では習わないのだろう。
戦後、日本人抑留者のうち約1万2000人がモンゴルに送られ、当時のモンゴル国家建設に重要な役割を担っていたことを熱弁してしまったのだが、彼女はあまり興味がなさそうだった。

モンゴル国会議事堂
国立オペラ劇場

チンギスハーン広場の次は地元のマーケットを案内してくれた。
エンジさんは従兄弟のお土産に男性用下着を何着か購入。
彼女のバッグには入らなかったのでツアーが終わるまでこちらで預かることに。

観光案内が終わって解散かと思ったら彼女が実家に招待してくれた。
友人と集まって食事会をするらしい。
21時までに宿に帰ればいいのでお邪魔してきた。

彼女の実家はマーケット近くの集合住宅。
モンゴル料理でおもてなしを受けた。

結局、友人は渋滞に巻き込まれてしまい宿の近くで集まることになった。

モンゴルはウランバートルの一極集中と市内の渋滞が深刻な問題らしく、その原因の一つはモンゴル国内の大学は90%が市内に集中しており地方には大学がないことらしい。
そのため地方の学生にとっては大学に進学することはウランバートルに上京することを意味する。

エンジさんの実家にお邪魔した後は近所にある知り合いのゲルを案内してくれた。

ゲルには5分ほど滞在して宿までバスで移動。
モンゴルのバスにもpasmoのようなタッチ決済が導入されていた。

宿の駐車場から外壁工事の邪魔にならないところに車を少しだけ移動させてエンジさんの友人のムギさんと合流、近くの酒屋に入った。
大陸横断についてムギさんから色々と質問された。
モンゴル人はビザなしで渡航できる国が限られているのでそのようなことをする人はいないと言う。

ムギさんの趣味はトレーニングで週6でジムに通っているらしい。
そしてなんとそのジムは今晩車中泊予定の駐車場から徒歩5分のとこだった。
翌日朝9:00から一緒にジムでトレーニングすることになった。笑

談笑していると突然電話がかかってきた。

おそらく外壁工事の件だろう。
車は移動させているはずなのに何で電話がくるんだ。

「○!※□◇#△!」
「(何もわからん)」

ムギさんに代わってもらう。

「あなたの車って三菱かしら?」
「はい、そうですけど」
「あなたの車を売って欲しいって言っているわ」 
「!?。。。絶対売りません!」

外壁工事の電話ではなく、デリカを買いたい人からの電話だった。
モンゴルの車両売買はこうやって個人間でやるものなのかもしれない。

最後にデリカの前で記念撮影して解散。

左からムギさん、エンジさん、管理人

続く

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