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アカーキイ・アカーキエヴィッチの外套に袖を通して

 秋の催事に関心を奪われている間に冬が顔を出した。読書もせずに、食べて寝てばかりの猫は冬支度を終えている。銀杏がスーパーの陳列棚に並び、小学校の通学路にあったあの匂いを思い出す。久しく嗅いでいない。寒さも深まりジャケットをタンスから引っ張り出した。かび臭い気もしなくはないが、終わりと書かれた乾燥剤の効果を祈るのみ。すべての道はローマに通じ、すべての秋は寂しさに通じると心で苦笑い、枯葉を踏みしめる。
 実家から爺さんが使っていたステンカラーコートが送られてきた。以前帰った時に欲しいと言った奴だ。爺がいつごろ手に入れたのかわからない。老人ホームに入れられて楽しくしている彼の荷物整理で、それは余った。背丈が同じ私にはサイズが丁度いい。カシミヤ100%と書かれたタグを信じて、今年の寒さはしのげるだろうと期待している。袖を通して街を歩いてみたが、まだ出番でないとすぐにわかる。着心地はいいが暑すぎる。そして、その外套は私に汗をかかせると共に釘も刺した。
 ゴーゴリの最後期の傑作に『外套』という作品がある。冴えない中年男性のアカーキイ・アカーキエヴィッチが、数か月も生活を切り詰めて繕ってもらった新しい外套をすぐに追剥に奪われる話である。高価な外套を着ることで変化する周囲の態度や、他人の思惑が錯綜する社会を描いている。主人公はその環境の中でも純真な心を一貫して持ち続ける。それは端からみると馬鹿に映る。特に追剥にあった後の卑小な姿はマヌケだ。
 私はアカーキイ・アカーキエヴィッチが追剥に奪われたような高価な外套を手に入れた。この外套に袖を通せば、私の薄っぺらさを覆って隠してしまう。私も背筋を伸ばして不格好にならないように意識するだろう。端からは立派に見えるかもしれないが、私自身は私の姿に騙されてはいけない。もちろん、彼のように嘲笑される人間になりたいわけではない。ただ、自分の能力も実力も惑うことなく自覚し、研磨を続けていくような人間でありたい。
「ああ、このコートの価格もブランドも知らないが、着心地の良さと暖かさは確かだ」

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