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YOUは何しに学習センターへ?#7

こんにちは。佐藤美加です。
学習センターでは総務を担当してます。
普段は朝~夕方までの事務作業をしているので、なかなか生徒の皆さんとは
話せておらず、この人だれっ?って思われているかもしれない、あの女の人です。

私自身の話をする機会も少ないので、この場で話せることに感謝です。
もし次の目次に興味あれば、この後も読んでみてください。

■1.沖縄で育ったあの頃
■2.学生時代のキーワード「一浪一留一留」
■3.民間会社でのIT営業12年
■4.なぜ海士(学習センター)に?


ではさっそく、「1.沖縄で育ったあの頃」から。

私は生まれも育ちも沖縄です。
旧姓は友利(ともり)といって、沖縄では宮古島にルーツを持つ姓のひとつです。
それが結婚して日本一多い姓になりました。

沖縄生まれだから何ということでもないですが、振り返って確かに言えるのは、自分のそして沖縄のアイデンティティを意識する環境だったなということですかね。

小難しく「アイデンティティ??」って言ったけど、私って誰、沖縄って何だろうという疑問かな。
日本だけど、どうやら日本とは違う面もあるぞとじわじわと感じてました。
日本で桜の開花宣言が出たってニュースになるけど、とうの昔の1月に沖縄に桜咲いてるぞ。
内地の音楽はかっこいいだけだけど、沖縄の音楽はどうも”ちむどんどん”(魂がゆさぶられる)するぞ。
基地や騒音やその他諸々の問題が、沖縄では大きくニュースに取り上げられるけど、どうやら内地では取り上げられていないぞ。
などなど、何か違う。独特な場所なんだなぁと感じてました。

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長くなってしまうので、こんな感じを抱きながら沖縄で高校まで育ったということをご紹介!
非常にまじめな内気な勉強好きな(いや、要領が良かった)女の子でした。


「2.学生時代のキーワード『一浪一留一留』」

私はまさに『一浪一留一留』で過ごしてきました!と胸を張って!?堂々と言えます。
寄り道ばかりで、ほんと親不孝者です。
でも寄り道をしたことには後悔はしてません。
うん、後悔することは何もない!


最初に「一留」。留学です。
高校3年のときにアメリカの高校に10ヵ月程度留学しました。
異文化にど~うしても興味があった私は、高校で絶対留学すると決めていて、ようやく念願かなったのが高校三年生の時。中高一貫で仲良くなった同級生との一緒の卒業も諦めるくらい留学したかった。異文化を、それこそシャワーのように浴びたかった。

結果行って良かったと思う。具体的なものが身についたわけではないけど、日本が小さいことがよ~~~~くわかったから。
自分の見ている世界が世界ではないことを感じたから。
この世の中は正しいことと悪いことがビシッと世界共通で決まっているわけではないことを知ったから。


次に「一浪」。浪人です。
留学から帰ってきて受けた受験は全敗。それならばと1年間の浪人を決めて、目指すレベルを上げて浪人をしました。そもそも大学に進学したかったのは、沖縄から出たかったから。
歴史の浅い沖縄ではなく、どうせなら歴史のある場所で、勉強を必死にやって進んできた同年代の人々と知り合いたかった、どんな世界があるのを見たかったという気持ちでした。
そのために、まずは生活リズムを自分で管理し、友達と遊ぶのも1年後にお預けしてめっちゃ朝から夕方まで勉強した。
そのおかげで一番行きたかった大学に入れ、そしたら、これがまた出会う人々が本当に面白かった。

大学では、勉強を放っておいて(さすがに試験前にはめっちゃ力入れてたけど)、アウトドアサークルで山・海・川なんでも遊んで日本全国を味わい、通訳ボランティアで京都にくる外国の人に日本の紹介をしつつ、自分もちゃっかり京都の歴史文化を一緒に満喫して、そしてバイト代で一人でバックパッカーして放浪して。。いろんな人に知り合い、経験を重ね、知っていく楽しみを味わいました。この話も盛りだくさんあるけど省略。。

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そして最後の「一留」。留年です。
大学でひととおり遊ぶ、いやいや、勉強をした後、就職活動でうまくいかなかったり、そもそも自分の進路に悩んでしまったりしたのもあって、留年をしました。
大学に通うというのを選択するのと同じく、仕事を決めるというのも決断は難しいよね。
みんなが夢ゼミとかで自分を見つめてしっかり悩んでいる姿は当然だなぁと本当に思ってます。
そして結局、私の思いはこちらではないだろうか、と思いながら選んだ道に進みました。
「地方」「貢献」という内容が実現できる民間中堅のIT会社の営業職に。


「3.民間会社でのIT営業12年」

なんとか就職した会社は地方自治体(役場)が使うシステムを開発・提供する会社でした。
私が扱っていたのは、例えばコンビニで住民票を取得出来たり、あとはPCや携帯から体育館や公民館の施設を予約したり、電子申告できるようになったりと、システムの面で住民が便利になるようなシステムでした。
それこそ何年も前から「電子政府」という言葉がでていたものの、いまだに実現できていないところを、行政としてではなく、民間として提供するというところに惹かれて。

ふぅ、少しというかだいぶ長くなったので、細かな内容は割愛します。
3年働けばいっかと日和見だったのが、12年働きました。
自分のいる場所がとても充実していたのと、いろいろな地に出張していろんな役場や会社で人に出会えるという、自分の性格に合っている場所だったんです。

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「4.なぜ海士(学習センター)に?」

それでこのお題にたどり着くわけですが、端的に言うとこれかな。
# 旦那についてきた

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2017年の夏に栃木県宇都宮市から旦那と1歳半の男の子と移住してきました。旦那さんがやりたい内容がこの海士で実現できるかもということで、思い切って夫婦二人して仕事を辞めて、こちらにきました。
私はたまたまその時に求人していた学習センターに応募して採用してもらったということだけど、ここで働けて良かったなと思ってます。

IT企業で働いている間にやってきたいろ~んな事が、総務という立場でかなり役に立っています。契約の取り交わしだったり、多種多様な資料を作成したり、外向けに広報をしたりと。そして子供の頃から興味のあった教育にも少し携われるという、なんとも良いことづくめの仕事だなぁと実感中。


今は二人の子育てで少し手を広げられないけど、いつかは高校生と一緒に何かをできるようになれたら幸せだなと思ってます。


今回、振り返りの機会をもらったけど、総じて言えるのは、私は「夢、目標というものにまっしぐら直進する!」というよりも、「その時その場所で求められていることに精一杯になる」ということが好きかなと。


その場において花開くため!

ここで頑張れれば満足だなと。その頑張っている最中で出会う人や事、体験を大事にしていきたい。というのが気持ちです。

寄り道だらけの自分のこれまで。きっとこれからも寄り道しながら楽しみたい♪
そんな寄り道にときどき付き合ってくれると嬉しいです。
これからもよろしく!

と、次はどなたかな。

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