真の教育者

プログラミング教室で学びに触れられると、最初恥ずかしがっていた子どもがびっくりするほどずっと質問しています。
何で教えてあげないのか、なと思って教えてあげてくださいねと伝えたら、
考えたら自分でわかるところまで頼ってくるので、ここまではできるでしょうというところは敢えて自分で考えるように促しこたえないようにしています、とのことで。
そういった私が間違いでした。お見事だなあと思いました。
今は一週間に一度オンラインで会えるお兄さんが大好きで、話したくて、また新しい生徒さんも来たから取られないように?独占したくてしょうがないのかな。
親御さんからも学校に行っていない子どもにとっていきいきする時間となっているのが親子ともどもいい時間ですとお礼のメールが来ています。
彼のことをめちゃくちゃかわいいなと思ってみていますし、学生ももっと学びたい彼に教えるためにPythonやろうかなと言ってくれています。(彼はこの言語ではなくほかの言語に長けているのでわざわざ今更これを学ぶ必要はないのですがこの生徒さんに教えるために、といってくれありがたい。)
こんなに気持ちがあるのに、気持ちがあるからこそ、教えることが彼のためになることではないと、考えることを促し教えずによく粘るなあと感心しています。
自分の存在価値の証明をするために誰かの役に立ちたいと思っている人には、あれはできないやり方だなと個人的に感じています。

以下引用。

真の教育者は解放する
いい学校に行けば、いい教師がいて、いい教育をしてくれるという。それは本当だろうか。
だいたいにして、何を教えてほしいと期待しているのだろうか。どういうふうに教育してもらいたいというのだろうか。
教師や学校によって、教える事柄が変わるのだろうか。しかし真の教育者とは、銘柄とか実績によるのではなくて、あなたの能力をフルに発揮させてくれる人ではないだろうか。つまり、真の教育者とは、あなたの解放者であるはずだ。
ならば、あなたがいきいきと自由に、活発に、能力を存分に発揮できるようにさせてくれる人こそがあなたの本当の教育者であり、そこがあなたの学校だということだ。
                      『ショウペンハウアー』

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