看護学校にてSTEAM教育を語る

先日プロジェクションマッピングのイベントの打ち合わせでお目にかかった方が、保育園の方だし、私が学生と一緒に動いているからでしょう、
「先生は何をなさっている方ですか」と聞いてくださいました。

「全然先生じゃないんですけど、先生と言われれば、看護学校で週一回だけ教育学を教えています」、とお伝えしたら

「先生は先生でも分野が全く違うんですね」とびっくりされました。

技術力の高い人と一緒にいたら、そこで先生に見えていたのなら、理系の人に見えるのかもな。
(見えない、見えない、という総突っ込み、時間差ですけどこれを読んだ時の知り合いの声がいま背後から聞こえましたよ(笑))

昨日は看護学校の授業でした。

機能化された社会と近代以前の社会について
それぞれどんなものなのかを整理し、全員に一言ずつ気づいたことを発言してもらいました。

共同体の維持を目標としていた近代以前の社会、家族が教育や介護を担っていた時代に比べて
職業選択や移動の自由、学校、病院、その他機能によって、より個人の自由が保障され、誰かができなくても代わってもらえる社会になっているけれども。
役割で担い合う社会であり、その人のかけがえのなさを感じることが近代以前の社会よりはなさそうだ、という課題について整理しました。

社会をより良くしようと先人たちはやって来て、確かに便利になったけれど、さて、それで本当に幸せかな、というところを考え、ここからどうするのかを考えて動くことが必要だという話をしてから

STEAM教育という言葉を聞いたことがありますかと聞いてみたら知っている学生は一人もいませんでした。

S サイエンス(科学)
T テクノロジー(技術)
E エンジニアリング(工学)
M  マスマティックス(数学)

科学技術を大事にするSTEM教育を進めてきて、効率が重視されて、ここまであらゆるものが便利になってきた。
それで人は幸せになったかな、これでよかったかな、とはた、と気が付いて

A アート(芸術、人が自由になるための教育リベラルアーツを含む)が入った。

STEAMは単にSTEM教育にAアート、芸術教育が加わった、というような見方ではなく
人が幸せになるために科学技術をどう使おうかという哲学をもった考え方。

各教科に分断されるような学びではなく、横断的であり、すべての人の創造性を開かせて芸術家のように考える、主体的、創造的学びであるという説明をしました。

機能が混然としている社会から機能化された社会に変わり
その課題が浮き彫りになったらじゃあ
今度は自分たちがしあわせになるために
どう考え行動していくか
その流れがSTEAMの考えとも通じると思いお話しました。

私のやっていることはかなり横断的です。
キャンプや、フェスティバーレや、看護学校講師や、教育学を学ぶことや、多様な学びについて考えること。イベントプラン。
プログラミング教室や、英語教室や、ロボット作る人、プロジェクションマッピングできる人に、こんなのできますか、できますよ、はいどうぞと用意する係
(決して自分が得意なわけでもできるわけでもそれを強いてやりたいわけではないけれど、やれる人がいて、その人たちのことが素晴らしいと思うからやってもらう環境を用意すること)
新しい技術、それを作り上げる過程を間近で見ることが楽しいです。

これまで自分を説明する言葉をなかなか持てないでいました。
何をやっている人かわからないと言われ、しばらくお話してやっと、そういうことね、と納得してもらえることが多かったです。

自分の肩書ややっていることを聞かれると、さて、ここで私は何を言おうかな、どの自分を出そうかなといろいろ構えてしまうこともありますが

STEAMという考え方をすれば、全部つながる気がして。

この概念に出会った瞬間からずっとわくわくしながら
だれかに聞かれたときは(時に聞かれもしないのに、、、)
水を得た魚のようにSTEAM教育について話しています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?