なんで脚本家になったかっていう話。

小さい頃から「エッセイ」が好きだった。

僕の中学校には「朝の読書タイム」という物が存在した。毎朝の朝礼が終わり、1時間目が始まるまでの15分間に読書をするという謎の決まり事だ。15分とは言え、クラスの全員が黙々とそれぞれ違う本を読まされている時間は何とも異様で、当時の僕でも「なんやねんこれ」と思わざるを得なかった。そして多くの同級生が「ハリー・ポッター」やライトノベルでその時間をやり過ごす中、僕が決まって選んでいたのが、さくらももこのエッセイだったのだ。

理由はいくつかある。

1つは、15分という読書時間に丁度いいという事。もし仮に推理小説を読み、探偵がパイプを吹かしながら「犯人が解りました。皆さんを部屋に集めてください」なんて言い始めた瞬間、読書タイムが終わってしまったらどうなるだろうか。ただでさえロクに聞いていない授業の内容が、余計にそっちのけになってしまう。「この問題解る人?」と聞かれている場合ではない。こっちは「犯人が解りました」と言われているのだ。早くしないとパイプの火も潰えてしまう。その点エッセイは15分もあれば1つのエピソードが読み切れて何とも気持ちが良い。晴れ晴れと授業を聞かないでいられる。

もう1つが、笑いだ。

中学校の生活では、合法的に外から笑いを獲るのは難しかった。僕らの世代ではスマートフォンはまだ無く、いわゆるガラケーを持つ生徒もクラスで半々といった具合だ。当然漫画やゲームを学校に持ち込む事は禁止されており、同級生との会話以外で笑いを摂取するには、危ない橋を渡るしか無かったのだ。

ところがエッセイは違う。

外面は立派な文学であり、休み時間に広げようものなら”お真面目勤勉君”の仲間入りが出来る。しかしその実は違い、著者の人生で起きた些細なエピソードから大きな悩みまで、ありとあらゆる「生々しい笑い」が赤裸々に綴られている。「他人の恥部」とも言える笑いを、学校で堂々と読める。言うなれば「脱法ハーブ」「合法薬物」だったのだ。そんな合法スレスレの笑いを摂取している事に僕は少なからず興奮していた。文字にしたらただのド変態である。そしてその興奮こそが、今の僕の殆どを作ってしまったのだ。

さて。前置きが長くなったが、僕は今「脚本家」である。

演劇の世界を中心にドラマやアニメで「脚本」を書く傍ら、テレビの世界でいわゆる「放送作家」としても働いている。二足の草鞋と言うにはあまり隣接している、1.5足の草鞋を履いている状態だ。             この仕事を初めて7年、お陰様で食べ物を選ばなければ食える生活を送っている。そうして今年29歳になる今、改めて自分を振り返ってみた時にエッセイの存在を思い出したのだ。自分の笑いの原点、と言うと少し大袈裟だが、かなりの衝撃だったこの経験に立ち戻ってみようではないかという想いで「自分も」と、この記事を書いてみている。これを読んでいる人が「朝の読書タイム」である可能性はかなり低いが、それでも合法薬物になれたら幸いである。


まず言っておかないといけないのは、僕は本当に勉強をしない子供だった。

小学校から大学までが地続きのいわゆる「エスカレーター校」に小学校3年制で編入入学をした。すでに動き出しているエスカレーターに途中から乗るのは至難の業であったが、逆に無事に乗れた時の安堵は凄まじい。その後の勉強を全て辞めるには十分すぎる喜びであった。            あまりに勉強をしなかったせいで、中学から高校への進学も危くなってしまった。途中で乗るのは難しくて、途中で追い出されるのは案外簡単なのだ。

コレに怒り狂ったのが母である。

どの家庭もそうだろうが、母親の怒りはその音のオクターブで大体測る事が出来る。高ければ高い程怒っている。その時の母の声がモスキート音並に高かった事は言うまでも無い。そしてモスキートは僕が勉強を終えるまで書斎から出さないという策にでたのだ。                

書斎というと格好が良いが、ただの屋根裏部屋に近い。机こそあるが、他には季節外れの扇風機や五月人形があるだけ。何も無い勉強しか出来ない部屋。そんな粗悪な戦場の最前線に支給されるのは鉛筆、消しゴム、教科書、問題集、そして『チラシの裏』だ。

皆さんの家のチラシの裏はどんなだっただろうか。新聞に折り込まれた、カラー刷りじゃない広告用紙か。役目を終えたFAXか。はたまた贅沢に白紙か。我が家の場合はそれが父が書いた原稿用紙の裏だったのが、母の最大のミスであり、最も感謝すべき点なのだ。

そう。僕の父も作家なのだ。

大学生時代にアルバイトの様な形でコント番組のコントを書いた事をキッカケに、現在もテレビの現場で働く「放送作家」をしている。その事実は小さい頃から当然知っていたが、当時の僕に「テレビの作家」という概念は難しすぎて厳密には理解していなかった。テレビのお笑い番組が面白いのは、出演しているお笑い芸人さんが面白いからだと思っていたし、ナレーション原稿を書いてると言われた所でイメージは掴めなかった。ところがたった今、閉じ込められた戦場に届く弾丸にはその答えが書いてあった。

陣内「いや、高倉健さんめちゃくちゃ器用やんけ!不器用ちゃうんか!」

忘れもしない、これが僕が人生で初めて読んだ「コントの台本」だ。
当時「エンタの神様」を筆頭に、大人気だったお笑い番組に出演している様々な芸人の台詞がそこにはあった。そしてそんな人達の笑いを、父が文字で生んでいる事を、実感として目撃してしまったのだ。
勘違いされない様にハッキリ名言しておくが、決して芸人さんが何もしてないだとか、裏には作家がいて操られているだとか、そんな事を言いたい訳では無い。台本とは「お笑い芸人」という最高の素材を「テレビ」という料理店で提供する際のレシピ、のような物だと当時直感的に理解できた。

そして同時に、やりたいと強く思った。

人の笑いを取るのは昔から好きだったのだが、恥ずかしがり屋でもあるという何とも面倒な性格もしており、中々人前には出られなかった。クラスの中心で流行りのギャグや先生のモノマネを披露し脚光を浴びている同級生を鼻で笑いながらも、内心にはマグマよりもドロっとしたジェラシーを抱いている様な学生だった。「考えている事は僕の方が面白いのに、あんな風におどけ魅せる事が出来ないだけ。全然負けてる訳じゃない」。そんな事を平気で思うイタイ子供だったのだ。

しかし、今目の前にあるこのA4の紙はどうだろうか。

面白い事を考え、文字にして、伝える。それを読んだ人が、人前でおどけて演じてくれる。自分が前に出ずとも、ちゃんと笑いを取れる。もちろん、手柄こそ分け合う形にはなるが、僕にとっては正に理想のカタチの「合法薬物」に見えた。

そしてその「合法薬物」に今日までラリっているのが僕なのだ。

何も人前で何かをする事だけが表現では無い。全員が全員主役になる必要は無い。自分が惚れ込んだ世界に、自分が一番落ち着いて存在出来る方法を見つける事が何よりも大事なのだ。だからこそ僕は脚本家という道を選んだ。

皆さんは惚れ込んだ世界に居られているだろうか。そうである事を心から願っている。つまらないと感じる世界に居るなら、どうかより良くなって欲しいとも思う。無理は禁物。薬、ダメ絶対。だからこそ胸を貼って言える。どうせ吸うなら、合法でどうでしょう。



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