オシの話。

昔誰かが言っていた。
映画監督は「OK」「もう1回」。この2語さえ話せれば誰でも出来ると。
とんでもない。
人間まずは挨拶だろ。

今、初めて長編映画の監督をやらせて頂いている。
撮影の日々は、大学で主に映画を学んでいた自分からすると、どこか懐かしいさもあり、同時にそのレベルの変化にも驚く不思議な状態で毎日が楽しい。
言い換えれば、大人になってからもう一度制服を着て登校している気分だ。

よく「映画と演劇は何が違うんですか?」と聞かれる。その問いはあの三谷幸喜氏でさえ「解らない」と答えた程の難問である。根本的な違いや、哲学的な相違はさて置いても、例えば使われている専門用語に違いがある。

例えば緑色で簡単に剥がせる「養生テープ」。これは映画でも演劇でも「養生」と呼ばれる。
一方、真っ黒のつや消し色したテープ。これを演劇では「影武者」と呼ぶ。艶が無く反射で照る事が無いので、舞台袖など暗い空間に貼っても客席からバレにくい。故に「影武者」。
ところが、映画のスタッフはそのテープの存在を知ってはいたが「影武者」という名称を知らなかった。考えてみれば当然、映画には「袖」という概念がない。「照らないからバレにくい」という利点は、映画の現場では主で無くなる訳だ。
ちなみに彼らは「ツヤなしの黒テープ」と呼ぶらしい。不思議だ。

そんな些細な違いを楽しみながら、或いは学生時代以来口にしてこなかった映画用語を久々に発し、その舌先が懐かしさで痺れている事に喜びを感じながら、撮影は順調に進んでいる。

その準備中のことである。
僕の知らない映画用語が飛び交ったのだ。

「ここは、家オシでいいですよね?」

一瞬にして僕の脳内には、住宅街で立派な戸建をペンライトで応援するファンの映像が浮かんだ。大の家屋好き。家推し。

「ごめん、オシって何?」

聞けば、「〜〜に向かって撮る」事を「オシ」と言うらしい。カメラの面前に主人公が居れば「主人公オシ」。主人公が背中で語るならば「背中オシ」という具合だ。

そんな事があるのか!?と思った。
だって僕たちは既にこの「オシ」を現場で使ってるではないか。

前述の「応援」を意味する「推し」はまだしも、「予定時間より経過してしまっている」を意味する「オシ」は現場でよく使うワードランキングでも中々の上位である。
「オシてます、マイてます」は今や業界人に限らず一般用語としても使われている筈だ。

にも関わらず、同じ音の「オシ」が同じ現場で違う意味として使われている。おいおいオシよ。ちょっと働き過ぎじゃないかい。

ちょっと大袈裟なと嗤われるかも知れないが、この「オシ」に僕は小さなシンパシーを感じている。

テレビ、演劇、映画の世界を渡り歩く僕のそれは、状況に応じてその意味合いを変化させる「オシ」の姿にどこか重なるのだ。

かつて僕は何者なのかと悩んだ。
いや、今でもすこーし悩んではいる。
僕の畑はどこなのか。果たして僕は「どの業界の人」なのか。その答えは実に曖昧だ。ところが、この「オシ」を知って気持ちが抜けるように楽になった。僕の意味こそ変われど、僕という「音」は変わらずにそこにある。多少ややこしくても、案外使う側は困らないのだ。

さぁ、今日も撮影だ。
オシのオシのせいでオシてしまわないか心配だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?