悩みの話。

2022年の2月22日が来た。
1992年に生まれた僕から見ると、人生史上過去に類を見ない程の「割り切れる日」だ。
いや、別に「4月2日」だって「8月14日」だって割り切れるのだが、なんとなく「2」で揃っていると真っ二つに割り切れる、パピコみたいな画が頭に浮かぶ。なんとも微笑ましい。

こういうシンメトリーな場面はなんとも気持ちがいい。
ファミレスの壁紙を見た時、レンガ柄の壁紙が横幅ぴったりに完結しているとすごく気持ちが良い。一方で、一番端のレンガだけが7割位の横幅になっているとバツが悪く感じる。
本棚のわずかな隙間が嫌いだ。どんなサイズ、厚みの本を並べても、若干窮屈そうな位ピチッと入っている本棚が好きだ。
食器棚が一番難しい。多種多様で無限にその形と大きさを持つ食器を、さも最初から採寸されていたかのように並べるのは至難の技だ。それでも尚、割り切りたいと配置に挑む。

これらの様に「割り切れる」は気持ちが良い。
一方で、割り切れない事も沢山あるから難しい。

「割り切れない想い」とはよく言ったもので、日々の生活で頭を苦しめるのは大概「奇数の問題」だ。いかんとしても割り切れないのだ。
ただ、そういった「悩み」に直面した際にいつも思う事がある。
一言で言えば「如何に悩みが無駄か」という話だ。
自分に言い聞かせる意味も込めて、ここに書いてみる。

まず、今貴方が持っている最大の悩みを思い浮かべて欲しい。
大小は問わない。大きく人生の悩みでも良い。この仕事を続けるべきか、今の恋人のままで良いのだろうか。色々あるだろう。
この時点であまり悩みが浮かばなかった人はおめでとう。
かなりの幸せ者だ。お祝いに昼からビールを開けよう。

悩みが浮かんだ人。その悩みのどれもが大きく、日頃の生活でふとした瞬間に襲ってくる事だろうと察する。寝付けない夜、楽しかった飲み会の帰り、衝撃的な映画や舞台を観た後、元恋人の結婚を知った時。
何かとこちらのスキを見てはやって来る。まるで宅急便だ。
なぜあんなに不在のタイミングを狙えるのか。これもまた悩みかも知れない。

さて。ではそれらの悩みについてこう考えてみよう。
「それは、考えたら解決する問題か?」

この仕事を続けるべきかどうか。
或いは恋人と分かれるべきか。
自分の将来の不安、自分は幸せになれるだろうか。
何でもいいのだが、その多くが「考えた所で答えの出ない問」の筈だ。

例えば俳優で考えてみよう。
上京し、一流俳優を目指して奮起し、小さいながらいくつかの舞台にも立ち、それなりの評価は貰えた。が、ここ数年であまり生活に変化が無い。いわゆる「売れる」という可能性に懐疑的になってきている。
同期や後輩の生活は好転しているようだ。では自分はどうなのか。
果たして本当に一流になれるのか。不安だ。

この悩みは「考えても仕方がない」と僕は思う。
逆を言えば「考えても仕方がない」事を人は「悩み」と呼ぶのだ。

こういった「悩み」は人生において不必要だ。
誰かがそう決めた訳じゃないが、自分でそう決めてみる。
そうすればくだらないことに時間を割かなくて済む。

「それはつまり、究極のポジティブになって、前だけを見ろという邦楽みたいな事ですか??」

少し違う。
悩みは持つべきではない。が、「迷い」は持つべきなのだ。

今思い浮かべてもらった悩みを「考えたら答えの出る問」と思った人も居るはずだ。それが「迷い」である。

先程の俳優の例を思い出してほしい。
彼の悩むを一言で言えば「このままで良いのか?」だろう。
それは先述の通り不要なのだ。
かといってそのままにしてチャランポランに生きろとは決して思わない。
「悩み」が「迷い」になった時、初めて向かい合えという意味だ。

では「迷い」とは何か。
単純に「複数の選択肢の中で、それを選ぶべきか思案する事」だ。

つまり、先程の俳優の例で言えば
「実家に帰って就職する」
「俳優を続ける」
という具体的な案が出てから悩むべきなのだ。
実家に帰って就職するメリットは何だろうか。
安定した収入と、将来性だろうか。
じゃあデメリットは?
自分の幸福度が下がる事だろうか。
俳優を続けるメリットは?
幸福度が上がる事だろうか。
ではデメリットは?
収入の不安定さと、将来性の見え無さだろうか。

ということは自分は
「幸福度」をとるべきか「確実な将来性」をとるべきかを迫られているのだ。言い換えれば生牡蠣や激辛ラーメンと似ている。食べれば美味しく幸福だ。しかし、当たってしまって腹を下す可能性も否定しきれない。さて、食うべきは喰わざるべきか。

ここまで分解すると、考えやすいとは思わないか。
漠然と「俺はどうしたら良いのだ」と悩むのは無駄。
そうではなく「どちらにしようかな」と迷う事に意味がある。
だから、自分が何か悩みに苦しんでいる時は「これはただの悩みじゃないか」と気づいて早々に考えるのを辞めるか、「もうちょっと考えて迷いにしよう」と分析するかをオススメする。

偉そうに言ったが僕だって悩みが無いわけじゃない。
悩みだらけだ。ただその殆どを無視している。
放置していればいずれ必ずその悩みが「迷い」として面前にやって来る時がある。その時に初めて、しっかりと迷おうと思う。
そうやって割り切っているのだ。

次に綺麗に割り切れる日が来るのは2222年の2月22日だ。
200年後。それまでこの綺麗に割り切ったパピコを誰と分け合おうか。すっかりと迷ってしまっている。

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