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つぶやく嫁

「この20年で変らなかったのは、本への思い入れを読者に伝えようとし続けた書店員たちの存在である。彼ら、彼女たちがこれからも書店を支え続けるのである。・・・」 学芸出版社営業部の名物社員・藤原がお送りする、本と書店をめぐる四方山話。

先日小説を読んでいる嫁が小さな声でつぶやいた。

「久しぶりに出会ったかも」

その後言葉はなく黙々と本を読んでいた。たぶんガツンと来る小説に久しぶりに出会ったのだと思うが、その先のことを僕は聞かなかった。

その理由は、本を読むことは個人的な行為であり、それを読んで何を感じたのかは100人いれば100人とも違うのが本というものだから、嫁がまだ読みきっていない本のことを根掘り葉掘り聞いてもしかたがない、そう思っただけのことである。

小説は電子本で十分だとか、いう人がいるが、小説をコンテンツなどという人の気持ちが分からない。紙にインクによって刷り込まれた活字が本という形になったものだけが小説なのだと信じたい。みんなもそう思っているよな。

ストーリーを追うだけならディスプレイで十分かも知れない。ストーリーを追うことだけが小説を読む楽しみだというならそれもいい。しかし小説はストーリーを消費するものではなく、保存されるものであると思う。

書棚にあり、またいつか書棚から引き出しストーリーを思い出しながら読む。そんなものだと思う。本の厚さや装丁、活字。そんなものからストーリーのイメージを呼び起こす作業に没頭するのも楽しさのひとつだ。

嫁はまたつぶやく。

「買ったけど、失敗した。これ1800円もするのよ。」

僕は失敗の理由も聞かなかった。1800円出すだけの理由が存在し、初めはワクワクしながら読んだものの途中で裏切られた嫁の心情を思いやったからである。本はこんなドラマを生み出す。

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