§13.7 酔っぱらいの禁酒演説/ 尾崎行雄『民主政治読本』

酔っぱらいの禁酒演説

 どんな頑固者でも,今後の日本が,敗戦前のような国家至上主義サザエ主義では救われないことはわかるであろう.それどころか,日本が本当の平和国家として立ちなおる精神的基盤は,世界主義・国際主義・平和主義より外はない.
 世界経済は,2度の大戦のにがい経験をへて,いよいよはっきり,すでに高等動物程度の有機的関係におかれていることを証明した.こういう世の中では,どんな大国でも自国の経済を世界経済からきりはなして自国だけで繁盛することはできない.まして日本のような小国の経済は,この世界経済にがっちりからみついてゆくより外に活きることさえできないであろう.
 残念ながら,今日の日本にはまだ世界各国に向って世界憲法の制定をすすめたり,世界の門戸開放を要求したり,世界一家の理想を高調したりする資格はない.しかしながら,やがて来るであろう,その日に備えて真の平和国家をきずくことに専念しようではないか.断じて再び国家の名において行われる罪悪を善事と考えることのないような,高尚な思想を養おうではないか.他日,日本が国際連合の一員となることを許された時,世界平和のためにする日本の発言が列国から“酔っぱらいの禁酒演説”と軽べつせられないような,言行一致の平和国家となろうではないか.つけやき刃ではだめだ.骨のずいまで平和主義に徹するより外に日本の活きる途はない.

 二人議長――英国のごとき一たい,行儀のよい所でも,およそ100年以前までは主客ともに酔いつぶれるほど,呑んだものと見え,貴族富豪の家には,目をさまさぬように,酔っ払いのカラーをはずすことを専門とするボーイを雇ってあったそうだ.
 有名なヒットが下院の審議中,その友人と院内の酒場で大いに呑み,両人とも酔眼もおそうとして議場にはりけ来り,“これはふしぎ,議事中にもかかわらず議長がいない”といえば,友人は目をこすりながら“とんでもないことをおおせらるる.2人でいるではありかせんか”と答えたと下院逸話に書いてある.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年7月7日公開

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