2.専制政体維持の必要条件/ 尾崎行雄『憲政の本義』
二 専制政体維持の必要条件
然しながら、人民を、禽獣状態に安んぜしめるには、必ずこれを暗愚ならしめねばならぬ。奴隷根性を養成せしめねばならぬ。「啼児と地頭には勝れぬ」と云うが如き思想を維持せしめねばならぬ。「御上の御無理はこれを御尤もと思う」の習慣を教養せねばならぬ。人類の禽獣との区別すら、これを知らせないようにしなければならぬ。ましてや「人には生命財産その他の権利あり」と云うが如き思想を起さしめるのは、専制政体の最大禁物である。朝憲紊乱の危険思想として、飽くまでこれを撲滅せなければならぬ。人民にしていやしくも人類である事を自覚し、生命財産の所有権を要求するに至ったならば、政府は恣《ほしいまま》に生殺与奪の権力を振う事が出来ず、従て専制体制の基礎は、たちまち崩壊するであろう。政府にしていやしくも人民に生命財産の所有権あることを承認すれば、いやしくもこれに関係する所の法律規則は、すべてその所有者たる人民に協議し、予めその承諾を受けなければ、これを制定改廃することが出来なくなる。それは則ち立憲政体である。
故に専制政体維持の必要条件は、人民を暗愚蒙昧にし、これをして人類たることを自覚せしめず、生命財産の所有主たることすら知らしめざるに在る。孔子は二千四百年以前に於て、此意義を喝破して曰く「民ハ之ニ由ラシム可シ、之ヲ知ラシム可ラス[#「民ハ之ニ由ラシム可シ、之ヲ知ラシム可ラス」は底本では「民可[#レ]使[#レ]由[#レ]之、不[#レ]可[#レ]使[#レ]知[#レ]之」]」と。[#「と。」は底本では「と」]しかしてしてこの目的を達するの道は、一にして足りない。
秦の始皇の様に、書を焚き儒を坑にし、医薬工芸書の外は、人民に読ませないのは、その第一法である。
漢末明初の如く奇怪なる試験制度を設け、いやしくも官吏になることを欲望する全国の青年をして、ことごとく無用の学問を為さしめて、その頭脳を麻痺させるのはその第二法である。
宗教の僻所を利用し、盛んに怪力乱神を語って、科学的研究を妨害するはその第三法である。
浮華淫靡な詩文を奨励して、人生実用の知識を学得する余裕をなくするのは、その第四法である。
口を忠君愛国に藉り、人種の由来、歴史の真相、君臣の関係等については、誠実な探究研磨を許さず、たまたまこれをなす篤学家があれば、直ちに不忠、不義、大不敬、危険思想等の悪言を放て、これを生き埋めにするのは、その第五法である。
この他黔首を愚にするの方法は、まだ沢山あるが、今これを列挙するは、余が目的でない。余はただ専制政体維持の必要条件は、人民を愚蒙ならしめるに在ることを証明すればよいのだ。読者に専制政体は、人民を禽獣扱いにするものであることを瞭解さすればよいのだ。専制治下に在ては、ただ事実上、人民を禽獣視するのではなく、その用語法においても、ただ人民に対して、禽獣用の言語を用うることを知らせればよいのである。地方官を称して、牧民官と云うのは、その一例である。飼と云い牧と云うのは、禽獣用の言語であって、人類に向《むかっ》て使用すべきものではない。更に甚だしきものがある。人民を呼ぶのに、蒼生則ち青人草をもってするのがそれである。これは人民を草木視するのである。人民に対して、禽獣以下の言語を用うるのである。帝国臣民は千有余年の久しき、藤原氏、源平二氏、北条氏、足利氏、徳川氏、及び薩長藩閥のために、奴隷視せられ、禽獣視せられ、草木視せられて、生々死々し来ったのである。
今や帝国人民は、明治天皇陛下の御懿徳に依て立憲政下の民となり、人類たるの権利を得たが、なお未だ人類であることを自覚せず、依然として禽獣状態に安んじ、甚だしきに至っては、人類唯一の保証物たる選挙権を売買するものすらある。これをしも人面獣心の劣悪動物と云わずして、はた何とか言わん。
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「憲政の本義」目次
底本
尾崎行雄『普選談叢 貧者及弱者の福音』(育英會、1927年11月2日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452459, 2021年5月21日閲覧)
参考
1. 尾崎行雄『政戰餘業 第一輯』(大阪毎日新聞社、東京日日新聞社、1923年2月19日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968691/1, 2021年5月21日閲覧)
2. 尾崎行雄『愕堂叢書 第一編 憲政之本義』(國民書院、1917年7月27日発行)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956325, 2021年5月21日閲覧)
2021年5月30日公開
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