GAKUルーツ《田故知新》vol.10
イベントが盛りだくさんだった田楽座の夏も、あという間に過ぎ去り・・・8月も終わりに差し掛かっていますが、まだまだ厳しい暑さが続きますね…
皆さん夏バテに負けずお元気でお過ごしでしょうか?
さあ!GAKUるーつ《田故知新》もいよいよ2ケタ台、vol.10まで来ましたよ‼
今回は、今から10年前、田楽座50周年の頃の新聞から。
「50周年を祝う会」や、「全国ファン大交流運動会」、「座史 田楽座50年の歩み」の刊行などなど、本当にたくさんのことに取り組んでいました!
その中でも大きな取組みだったのが、五十周年記念作品『まつり芸能楽 信濃』という舞台作品の上演です。
2014年長野県駒ケ根市での公演から始まり、千秋楽は2018年の長野市で。皆様に愛され、全国16か所・合計18ステージのロングラン公演となりました。
vol.10は、そんな“信濃”について、作・演出のスケさんこと座長 中山洋介が、当時の想いを語っている記事から抜粋してお届けします!
2014年1月発行
【私たちの信濃 第一弾】
五十周年記念作品『まつり芸能楽 信濃』。
この作品について、様々な角度から紹介する新企画。
題して、〝私たちの信濃〟
第一弾は、作・演出の中山洋介に作品に対しての思いを語ってもらいました。
《まつり芸能楽(げいのうがく) 信濃(しなの)》
『作品名、第一部の題名にも"信濃”とありますが、「長野県」をテーマにした作品を創るいきさつは?』
そこはやっぱりこの長野県で50年もやっているわけだから、信州の芸能だけで舞台を構成したい、という座内の総意があったわけ。
伊那のお客さんから「地元のものをとりあげてほしい」という声や、県外の方からも「長野県のものをやると思ってました」という声もあったしね。
ただ、信州の芸能の魅力は、雄大な山並みや、夜の闇や寒い空気や、雪だとか、焚き火の煙の臭い、酒や水といったものと結びついているのね。
信州の人が祭りを育ててきた風土とセットなわけ。でも焚き火とかって舞台にはもっとも向かないよね(笑)。
だから舞台上で、そういった風土と切り離して芸能だけにしてしまって、信州の芸能の魅力を伝えられるのか、が心配で。
そういうわけで、信州の芸能のみで舞台を構成するのは、これまでは自分の中では踏み切れなかったところがあったんだけど、試しに台本を書いてみたら、これがけっこう面白くなりそうだった。
「よしいけるな」と(笑)。
『他に全体を通してのキーワードなどは?』
〝信州〟ということの他にも、田楽座なのだから、やっぱり〝田楽〟も取り上げたい。田楽については、第二部の時に話すとして・・・。もう一つは〝歌舞劇〟だね。歌舞劇については、「新しい歌舞劇を生み出すんだ」という意識と、演目集ではく「劇」もちいることでより深い部分を伝えられることがあると思うから。
『歌舞劇については?』
今回「盆踊り狂言」というものをやるんだけど、芸能というものは、表面的に芸能だけを見ていても面白いんだけど、その謂れ背景を重ねてみると、もっと面白くなる。
それを演目紹介的にMCで説明してもいいんだけど、理性に訴えるんじゃなくて感性に訴えたいわけ。感動というのは感性の動きだからね。
でも、芸能の魅力ってのは、そこで暮らしてる人がやってるからかっこいい、とか地域のためにやってる、人間以外の自然全体に対して演じている、そういう哲学がかっこいい、とか、そういう質の「かっこよさ」を描こうとしたら、ただ踊りを見てもらうだけじゃ分からないんだわね。郷土芸能の魅力って、ただ単にカッコイイとか面白い、だけじゃない。
「死んだじいちゃんが見てる」とか「カミサマが見てる」というのは、芸能を踊るだけじゃ伝わらない。
セットやセリフである程度のことを説明しながら、どのようなことを伝えたいかを誘導していく。例えて言うなら、盆踊りの魅力は舞台で盆踊りを踊りますので見ていてください、じゃあ伝わらない。同じことの繰り返しだし、そんなに派手なフリもないし。そういう表面的に分かりにくい質の魅力を伝えるには、何か具体的なドラマをともなって見せるほうが伝わりやすい。そのための歌舞劇なの。芸能の魅力を楽しんで理解しやすくするための芝居。
俺たちは踊ったり太鼓叩いたりしたいんだから、やっぱり芸能で感動させたいわけ。だから登場人物や背景やセリフがあっても、幹は芸能。感動のピークは芸能、というのが芸能集団の創る歌舞劇だと思う。
2014年2月発行
【私たちの信濃 第二弾】
『まずは「田楽法師 西へ東へ」について』
田楽法師ってのは、平安から室町にかけて活躍した、プロの芸人で、田楽座は「現代の田楽法師になろう」ということで田楽座を名乗ったそうです。
郷土芸能は一般民衆のものだけど、田楽座はプロの芸能集団。
プロにはやっぱりお客さんに期待されていることがあって、プロにしか出来ない表現をする義務がある。
それが田楽法師であるととらえると、田楽法師が現代の人に喜ばれることをするとしたら・・・お客さんがもつ「田楽座に対してのイメージ・夢をかなえてあげる」こと。そういう考え方で創りたい。2部は、『プロの作ったエンターテインメント』としたいんだ。
『演目に「田楽踊り」とあるが』
田楽法師が各地に祭りの種をまいた、とも言われていて、今でも各地に郷土芸能として田楽踊りの芸態を残しているものがあるんだよ。
みんなでっかい笠をかぶってね、腰に太鼓をつけてたり、ビンザサラもってたり・・・。
1000年前に、田楽法師がやっていた田楽踊りってどんなものだったんだろう・・・と妄想を膨らますのは楽しいよね。
田楽法師を日本の職業的芸能人、つまりプロ芸人の元祖ととらえるとだな、田楽座はその末裔であり・・・。ま、直接は全然つながってないんだけどね(笑)、
現代の田楽座が、1000年前の田楽踊りを想像し創作する、というのはロマンがあると思わない?
『田楽座としてのエンディング』
作品の終わり方としては、秘密にしておきたい部分があるんだけれど・・・(笑)。田楽座だから「田の芸」で幕を下ろしたい、という思いはあるかな。
冬の祭りは、今日から春(=農作業)が始まるよということ。『言祝ぐ』というか、言霊信仰としての予祝のようなこともある。
公演に来て下さったお客さんに対して『次に会う時まで皆様健やかに、豊作祈願の想いもこめて』神に祈る・・・。そんな、人としての生き方・哲学を感じるような、座ならではの終わり方で『信濃』の幕を下ろしたいと思うな。
2015年5月発行
【私たちの信濃 第9弾】
「信濃」の幕を下ろす演目「田遊び」。日本各地の田楽芸能、稲作に関わる芸能をミックスして構成しました。
豊作を願う歌を通して、お客様が迎える一年が実り豊かであることを願い、幕を下ろします。
踊るって楽しいよ!太鼓はかっこいいよ!だけだったら、郷土芸能はここまで大事にされてこなかったと思います。
豊作を「祈る」、子孫繁栄を「願う」、という核があったからこそ。人間の生死や社会の安定に関わる「祈り」「願い」「思い」があったからこそ、何百年も続けられ、そこへ帰りたいと思うほど、大切なものになったのではないでしょうか。
おもしろいかどうか、売れるかどうか、得かどうか、で物事をはかってばかりの現代社会に対して、それを投げかけたかった。
僕は田楽座の舞台が大好きです。伝統のものを題材にしているのに、現代人が見てもおもしろくてかっこよくて、背伸びしないで楽しめるから。田楽座のファンの皆さんにも、共感していただけると思います。やっぱり田楽座の舞台は明るくておもしろくないと!
でもおもしろいだけでは足りないのです。
そこに「思い」が、「願い」が、「祈り」がなければ。
緞帳が閉じきる寸前の、一列に並んだ演技者がかける「イヤサカサッサア!」というカケ声。郷土芸能の定番のカケ声の一つですが、これにも意味があるのです。
「弥栄(いやさか)」とは、ますます栄えること。お客様の未来に、たくさんの幸福が訪れますように。そんな祈りを込めて―。
(中山 洋介)
田楽座60周年の今年も、テーマソングとして掲げている「田遊び」。
これからの一年が実り豊かな年となりますように…。
嬉しめでたや この田の稲は
黄金がざんざと なり候
伊那は良いとこ お米の出どこ
秋は黄金の 波が立つ
田の神様よ ご縁あるなら
また来年もござれや
イヤサカサッサァ