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アオイエを退職。全てに無条件であった時代。己れが創りたかった愛の社会とその限界の話。

アオイエ(株式会社DADA)を退職しました。

お久しぶりです。元メキシコ帰りの野生児こと、原田岳です。
初めましての人は己れがどんな人間か、この記事を読んでくれると大方把握できると思う。


実は、本日付(5/29)でアオイエを退職しました。

理由はよくありすぎてうんざりしている理由。

「次のステップに進みたかった。」

2017年10月より、青木大和に誘われ創業メンバー(?)としてジョイン。
約3年間もの間20台前半の青春を捧げてきた。思えば関西に移住したのは2018年の5月。それから丸2年かと思うと、月日が流れるのはあまりにも早い。

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(写真は2年前の夏合宿)

アオイエでは、多くの同世代に囲まれ、メキシコから帰ってきたばかりの、仕事もプライベートもまるで小猿を彷彿とさせる野生児の様な己れに親身に接してくれた方々には頭が下がるばかり。

この3年間、成長してこれた己れがいるのも、周りで手を差し伸べてくれた仲間や友人がいたからです。
改めて感謝。

そして、次は己れがこの御恩を社会に還元すべく、次のステップへと一歩を踏み出しました。

ご報告まで。

無条件の若さ。己れがアオイエで創りたかった愛の社会とその限界。

「財産も知識も、蓄えれば蓄えるほどかえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きが出来なくなる。人生に挑み、本当に生きるには瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命を開くのだ。それは心身とも無一物、無条件でなければならない。」
岡本太郎著「自分の中に毒を持て」より。



己れの好きな言葉の一つ。

アオイエを始めた当初は無条件の若さを持ち合わせていた。心身における一切の制約が存在せず、己れの力と存在と、全てを賭けて、願う社会を必死に追いかけていた。

そうして願っいた社会は、着実にゆっくりではあるが少しずつ言語化され、形創られていた。

己れがアオイエで創りたかった社会は、愛が巡る社会だった。
コミュニティの中で互いが互いに愛を与え合い、利他の精神を持って利己に行き着く。その社会への道のりには一切の条件は存在しないと思っていた。つまりは無条件であると思っていた。願えば叶うと願っていた。

「条件」
ある物事が成り立つ、または起こるもととなる事柄のうち、その直接の原因ではないが、しかしそれを制約するもの。

家賃という誰しもが支払わなければならない最低限の制約の中で、家(シェアハウス/コミュニティ)という箱の中でより濃密な時間を他人と共に過ごす。そこに、文化というシステムを組み込み、愛、思想、お金、情報、衣食住、芸術、スキル、教育といった様々なものが巡り、発散し、集積し、人類の意識がアップデートされていく。

意識が変わることで、現代における消費所有に幸福感を見出すのではなく、人と深く関わることに幸福感を見出し、より他者に優しい社会へと変わっていくのではないかと。

世界への期待を捨て去り、絶望し、死を望んだり、正義感を盾に他者への蔑みや、犯罪が起こることが無くなるのだと。

若い己れは無条件にその社会を願っていた。

しかし、社会は、人間は、そう簡単に変わることはなかった。
資本主義のシステムの中では、仕事に必死で、生きることに必死で、学ぶことに必死で、自己に必死で、周りを見る余裕、他者に愛を与えれる時間、その様に行動を変え、それが常識となりうる生活システムが基準にはなっていなかった。そして変化をしたとしても、その深さも想像していたものとは違った。

無条件の若さで、無条件の道のりを歩み創られる社会を願っていた己れは、社会システム上の欠陥という制約を目の当たりにしてしまった。

心身は無条件であっても社会は無条件ではなかった。

そして、シェアハウスという現代の資本主義構造において圧倒的に難しいビジネスモデル。(文化を伝えるためには属人性が高く、コミュニティをより良く回すことは労働集約型であり、資金的余裕を持っていないベンチャー企業には時間がかかりすぎた。しかし、ゆっくりではあるがコミュニティは広がっていたが。)


成し遂げたい社会を見るためには、己れの人生を使い切っても時間的な制約で到達できないと察した。

限界を感じた。

これからやること

まずは資本主義に殴り込まねばならぬ。
この土壌で、着実に道を切り開き、社会システムを使い倒し、ビジネスにおいて圧倒的スピードで正解を作って行かねば、理想の社会は生涯の内には見ることは不可能である。

社会には条件(制約)がついているが、己れは無条件であろう。意識が変わり、ゼロに生まれ変わる決意をした。

声をかけてもらったのは中村多伽率いる株式会社taliki

この記事を見て頂ければ彼女がどんな存在か分かって頂けるであろう。

簡単に説明すると、
これ以上ないくらい素敵で優しく強さを内包したファンキーガール。

ここでは、

より多くの人が「生まれてきてよかった」と思えるよう、社会課題を解決する人材を輩出すると同時に、効果的な活動を行うためのサポートを行います。

という理念を元に起業家の支援を行っている。(以前までは「社会起業家の支援」と言っていたが、起業家と社会起業家の間で分断が起きてしまうのでその言葉を使うことを控えている)

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(写真は昨年DADAとして協力したイベントBEYOND KYOTOの円陣シーン)

己れは起業家がしっかりとユーザーの声を聞き、仮説検証を行い、アイデアをビジネスに落とし込み、PMFが達成できる様に徹底的に寄り添い、共に事業を創り上げていくPGを運営している。

その事業が本当にユーザーにとっての価値となるものか、ユーザーの課題を解決し彼ら彼女らを笑顔にすることができるのか、多くの人が忘れていた様な本質さを取り戻せる様な場所を日々創る努力をしている。

運営は常に情報をアップデートし続けなければならないし、参加した起業家以上に成長し続け、誰よりも人に寄り添い、課題を丁寧に棚卸し、自信を持って前に進んで行ける様に努めねばならない。

その代わり彼女の近くにいれば、
理想の世界は近くなると本能で感じとっている。

それが居る理由。


そして、もう一つが、Impact Hub Kyoto(以下HUB)。

京都にあるコワーキングスペースだ。
己れは「Maker」という立場から経営改善とプレイヤーとしての活動を行っていく。

ここは建築家である岩元祿が大正時代において、建築の芸術性をひたすら追い求め、わずか3点の作品を残した建造物の1つ、西陣産業創造会館という建物の中に位置している。

HUBで目指しているものは、

「Art of Living」

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これらを関係者と共に事業を通して実践、人類にとって健全な社会を目指す。

このVISIONに共感し、アカデミック、デザイン、NPO、株式会社、フリーランス、世代を超えた本当に多様な関係者の方々が集うこの場所を通して、様々な社会実験を行っていく。そして、この場所だからできるものを届けていく。talikiとは少し違い、ここではプレイヤーとして地域を手始めに、理想の社会を構築していく。

ここは常に意識をアップデートして行くための集積知の場所としては最適な場所だと感じた。特にアカデミック領域が大学以外では最も強かろう。(もちろん参画した理由として、アオイエ時代からお世話になっていたこともある)

そして、このImpact Hubは世界中の100以上の都市で展開され、海外で志同じくして社会的な活動を実践されている方々との出会いも多分に存在する。

日本は古くから、中国、ポルトガルやオランダなど、海外の文化を常に取り入れて進化してきた人種だ。それが現代では、なんの因果かは知らないがインターネットが発達して以降(もしかしたら工業化社会の時からか)、自分たちで障壁を創り、海外を拒み、恐れることなく慢心を続けている様に思う。恐れは武器となりうるにも関わらず。

多分なリソースを持ち合わせている京都のこの場所から、新たな日本の像をアップデートし、社会実験という形で理想の道を証明していくことが可能になると感じている。

今後の展望

上記2つ以外にも、雑誌を創らせてもらったり、社会実験を超高速で回していく様なチーム作りや、クリエイターやアーティストの溜まり場など、どちらかというとフリーランス的な活動を今年はしていく。

そうして、己れの創るべき社会をより明確に言語化、ロードマップを更新し続け、法人という形として保存し、様々な領域から多角的に変革を促していく。そんなことをやっていきたい。

以前は夢やVISIONを大いに語っていたが、それはとうの昔に捨て去った。
これからの社会、より短期間のうちに課題を解決するために、明確に目標というVISIONを定め、資金を投入し、目標が達成されれば、それらはアーカイブされ、他の地域で再利用、人々が集い一つの目標を達成するために創られた枠組みは、解散し、また別の課題の際に再構築される。

部分的にとは言え、そんな流れが起こるのではないかと予想している。
(すでに部分的に時間軸を区切れば起こっていると思う)
特に情報が飽和している現代においては、人間の欲望は常に変化せざるを得ない(リブセンスの桂さんのお言葉をお借りした)ので、1つのVISIONだけで満足し、やりがいなどを継続して持ち続けることは限界にきている。必要なのは継続してコミットを続けることのできる仕組みだ。(こちらもkokokaraの清光さんの考えから学んだもの)

そして、より今に刹那的に生き、個々人のVISIONが変化することこそが軸の人間がより増えてくる。

僕はよくよく考えてみれば、今までも常に変化を望んできたし、これからもずっと変わらず変化し続ける。

そして、己れの魂や感性や欲望に従い続けると同時に破壊し続けるだろう。

今に生き、心身は無一文・無条件であり、瞬間瞬間に己れを破壊し、
社会を破壊し、新しい己れと社会に向き合い続ける。

それが、己れの言う「爆発的に生きる」ということだ。

言葉で自己を制限するな。己れを破壊し、社会を破壊し、新しい己れと社会に向き合い続ける。言葉を超えたその先に未知なる希望が眠っている。
想像を張り巡らし、現実と闘い続け、常に無条件であり、爆発を続けろ。

そして、理由なんて捨てちまえ。
好きなやつらを助け続けろ。

過去と未来と現在の「原田 岳」に向けて綴る。

最後に。

最初にアオイエの運営に誘ってくれた青木大和。

共に最初の時期を支え合い、色んな意見を交わし助けてくれたし、叱ってもくれた。怒られるのは久々やったわ。山本健太郎。

頭は感性と論理で真逆ではあるが波長が最も合い、常に心の拠り所だった。多分一生酒飲んでると思うわ俺ら。中野達哉。

今はアオイエのTOPとして懸命に走っていて、感覚は結構似てて嬉しかった。常に学び続ける姿が負けてらんねぇなと思わせてくれる。坂元裕星。

京都で単独乗り込んだ俺にヤクザ営業をされ、いつの間にか運営にまで参画。あの時はついて来てくれて本当に助かった。ありがとう。木下逸貴。

としきの次に、住人になるよりも前に運営に誘ったな。お前がいたお陰でめっちゃ成長できたわ。そしてグレたな。これからもよろしくな。小村和輝。

俺が誘ったのに、抜けちゃってごめん。苦労かける。お前の聞き上手っぷりは常に安心感をもたらせてくれた。出会えてよかった。これからは外からアオイエをサポートするわ。山田瑠人。

今は一人で事業作り頑張ってる。京都にいく前に、全人類を敵だと思ってた己れが行き詰まった時に言ってくれた言葉は忘れてない。頑張れよ。山田浩太。

関西に行っても東京で相手してくれたみなさん。
ありがとう

そして、関西で友人もいない中で仲良くしてくださった皆さん。
ありがとう。

感謝したい人が多すぎて、全部が全部は書けないので、一旦ここまでとする。

大学もやめちまったし、地元に帰ろうなんて考えたこともあったし、全部ぶっ壊れてしまえなんて思うこともあった。けど、今になってはその壁を乗り越えた経験が確実に糧になってる。

改めて、ありがとう。

これからもよろしく。

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原田 岳


PS.新しい環境を探している貴方へ。

アオイエはこれからも続いてく。そして、常に新しい仲間が来ることを待ち望んでいます。同世代の家族と共に過ごし、成長していく為の場所としては、これ以上ない程、どんなところにも負けないほど、確実にチャンスを掴め、挑戦できる機会が多分にあるコミュニティを設計してきました。もし、新たに環境を変えたい方いれば足を運んでみることをオススメします。




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