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学校の学校⑵ 「どうすることが一番気持ちいいかな?」と自分の身体に問いかけること

 おはようございます。
 学校の学校の吉田カンゾーです。坂口恭平先生のお金の学校の卒業生です。このたび学校の学校という学校についての学校を開校しました。昨日登校した学校の学校⑴、だれも読んでいません。流れていません笑。でもいいです。とりあえず書いてみます。
 昨日は「あなた自身が一番大事」という学校では教わらないことの話をしました。学校で教わらないことは「あなた自身が一番大事」ということだと話をしました。でも、なんで学校では「あなた自身が一番大事」ということを教わらないんでしょう?
 学校で教わるのは「友達が大事」だということです。他の言い方もします。「他者と交わる」「社会性を身に着ける」「他者と折り合いをつけていく方法を学ぶ」 そういう言い方もします。どれでも同じです。「友達が大事」ということです。
 なんでこのことを学校では「あなた自身が一番大事」ということよりも優先して、強調するのでしょう?
 それはまず、学校の先生たちが「いじめ」というものを恐れているからです。「いじめ」が起きると大変です。みんなが不幸になります。まずいじめられた人が生きる力を削がれます。毎日がつらくなります。いじめが発覚すると犯人探しが始まります。いじめを主導した人、見て見ぬふりをした人、気づかなかった先生、いじめるような子供を育てた親・・・
 日本の学校の先生はよく言われている通り多忙です。これにはいろんな歴史的な背景があります。生活というものを「指導」する役割を担わされてきたこと・戦前の全体主義教育への反省から自主性を育てる場としての課外活動の指導の役割を担わされてきたこと・・・授業をするだけではない膨大な仕事があります。これに「いじめ」の対応が増えるともうとんでもないことになります。
 そうです。学校の先生はいい人がたくさんいます。いい先生がたくさんいます。だから本心から「いじめられる人が自分の学校にいてほしくない」と願っていることは間違いないですが、一方で「いじめが起きたら仕事が増える」と思っていることも間違いありません。でもこのことを否定できません。学校の先生も死にかけながら日々の膨大な仕事に向き合っています。体調を崩す人もいます。家庭を崩壊させてしまう人もいます。自らを傷つけてしまう人もいます。
 だから、「友達は大事にしよう」と教えるんです。なによりも優先するんです。強調するんです。「あなた自身が一番大事」ということよりもそれを優先させちゃうんです。いじめが起きると「みんな」が不幸になるから、「友達は大事にしよう」。これがメカニズムです。
 「友達を大事にしよう」と教えることは悪いことではありません。「いじめ」は絶対に起きない方がいいです。「友達を大事にしよう」と教えて、「いじめ」が犯罪であることを教えることは「いじめ」を少しでも減らすことにつながっていると思いますから、大事なことです。
 でもそのときに「あなた自身が一番大事」ということが少なくなってしまっていないかな? ということです。「あなたを誰かに傷つけさせてはいけない」「あなたの生活を誰かや何かに支配されてはいけない」 そういうことを教えているでしょうか。そういうことを教えれば、その帰結として「いじめはいけない」ということも教えられるのです。
 「あなた自身が誰かに傷つけられること」について、それが起きたときの「痛み」や、その記憶の「うずき」について、学校は、私たちはあまり教えてこなかったと思います。「あなたの生活が誰かや何かに支配されること」について、それがどんなことなのか、そのことがあなた自身にどんな影響を与えるのか、学校は、私たちはあまり教えてきませんでした。そして、そのような状態から抜け出たり、対抗したりするための方法も教えてきませんでした。
 「先生に相談しなさい」「親に相談しなさい」 これは確かに大事なことです。誰かに話すことで、心は軽くなりますし、ものごとは少しでも解決に向かって前進する場合が多いでしょう。しかし、自分がどうするか、何をすればいいかということを教えてくれるわけではありません。うーん、うまく書けないんですが、「相談しなさい」というのは、多くの場合決定権を先生なり親なりに委ねることになります。任せることになります。先生も親もあなたのために多くのことをしてくれるはずです。それで解決することもあるはずです。でも、それ「だけ」だと、「あなた自身を一番大事にする」ということがやはりそこでは抜け落ちています。「あなた自身を一番大事にする」の主語は「あなた」です。「あなた」が「あなた自身を一番大事にする」んです。
 他人に傷つけられたとき、誰かや何かに支配されそうになったとき、あなたが「どうしたいか」を考えることは「あなた」にしかできません。「相談」が前提になってしまうと、「あなた」がどうしたいかを「あなた」が考えることなく、先生や親に自体を委ねることになってしまいます。もしかしたら、あなたはよく考えたうえでその学校を辞めたいと思うかもしれません。でもおそらく、先生に相談したとき、先生は「学校に残り続けること」「教室に復帰すること」を最善の解決策だと思って考えます。それは仕方ないことです。学校の先生です。自分の学校を生徒が辞めてもいいと思う人はあまりいません。でも「学校に残り続けること」が最善なのかどうか、「あなた自身」が、先生に委ねる前に考えなければいけない。比喩的な言い方になりますが、心に手を置いて、「自分は本当はどうしたいんだろう?」「どうすることが一番気持ちいいんだろう?」 そう自分の身体に問いかけなければなりません。
 相談することはいいことです。自分では考えてもみなかった意見に触れることができます。もしかしたら、先生や親から、自分が一番気持ちいいと思える選択肢を提案してもらえるかもしれません。だから相談することはしたほうがいいのです。一人で抱え込んでいいことはありません。でも、「自分は本当はどうしたいんだろう?」「どうすることが一番気持ちいいんだろう?」と自分の身体に問いかけることができるのは「あなた」だけです。
 そういうことを、学校は教えてくれません。昨日も話した通り、「あなたはどうしたいの」「自分で決めなさい」という、「自分で決めたことの責任は自分で取りなさい」「決めたことはやりとげなさい」という、「あなたが一番大事」ということとは反対の「あなたはどうしたいの」という脅迫の問いかけは確かにあります。でも、「どうすることが一番気持ちいいかな? 自分の身体に問いかけてごらん」と学校の先生が言うのは、私はまだ聞いたことがありません。
 「どうすることが一番気持ちいいかな?」と自分の身体に問いかけることは、「あなた自身を一番大事にする」方法の一つです。でもこれを学校では教えてくれません。「身体に」というのが大事です。「気持ちいい」というのが大事です。人間の頭は、意志は、「身体にとって気持ちよくないこと」を選ぶことがあります。「頑張る」とかそういうことがそれです。「一度決めたことはやり遂げる」とかいうことです。やり遂げることが気持ちいいならやればいいんです。気持ちよくなければやらなくていい。

 学校で宿題は出ますか? 今日学校で宿題は出ましたか? 宿題の期限はいつですか? それが一週間後よりも短い期限だったら、それは「不当だ」とあなたはあなた自身を一番大事にするために怒っていいと思います。
 学校はそういうことを絶対に教えません。でも私は、学校の学校は教えます。
 毎日出ることがわかっているような宿題、ルーティン的な復習とか予習とかはこれに含みません。予想もしていなかったような宿題とか、小テストの勉強とか、そういうことです。それが一週間より短い期限で課されるのは不当です。正しいことではありません。大げさに言えば人権侵害です。
 あなたはあなたのスケジュールを、人によってゆるさと厳格さに差があると思いますが、スケジュールを想定して生きています。6時半に起きて、8時に学校に行って、15時に下校して、16時からマックに行って、18時からバイトで22時までで、とか、17時から予備校の授業でとか、15時から部活動で18時までで家に帰るのが19時でお風呂入ってご飯食べるとくたくたですぐ寝て、とか、17時からはテレビを見て、とかギター弾いてとか彼氏とLINE繋いでとか、いろいろあるはずです。で、一週間ぐらいをだいたいの目安にして、これをやる、あれをやる、だれだれに会うという予定を立てていると思います。でも、一週間以内が期限の宿題やテスト勉強はあなたが立てたそのスケジュールの改変を要求します。そのときあなたは大して苦痛を感じないかもしれません。あるいは死ぬほどの苦痛を感じるかもしれません。でもいいですか? それが気持ちいいか、自分の身体に問いかけてください。おそらく「気持ちよくない」と身体は言うと思います。あるいは、そういうことが今までありませんでしたか? で、そのことの記憶がいつまでもなぜか残っていませんか? それ、傷になっているということです。その傷がうずいているということです。いいですか? その傷が、人権侵害を受けたということです。
 学校は、「学生の本分は勉強すること」「子どもの仕事は学ぶこと」と言って、この人権侵害を正当化してきます。私も、勉強すること学ぶことは大事だと考えています。ですが、人権侵害は不当です。あなたの生活の強制的な改変を迫ることは不当です。それによってあなたが傷つくことは不当です。「宿題が終わらない」 あなたは泣くことになるかもしれません。泣かないまでも怒って先生に訴えかけることもあるかもしれません。先生は何というでしょう? 「優先順位を考えなさい」「両立することが大事だよね」
 このとき、学校は、悪気無くですが、「あなた自身を一番大事にはしないこと」を教えています。これは大変なことです。
 期限が一週間より先なら、急な生活の改変はしなくてもいいんです。だから、ゆるく予定を立てられます。ここでこれをすればいいやと決められる。でも一週間以内は不当です。しかもそれが、あらゆる方向から、複数の教科から、部活動とか、HRクラスとか、いろんなものから言われる可能性がある。そうするとあなたは傷だらけです。自分の一番大事にするべきことを一番大事にできなかったという傷が残ります。学校に行きたくなります。生き生きとした感じが奪われます。
 じゃあどうすればいいか、この不当な人権侵害にどう対処すればいいか、明日の授業はこのことについて考えてみましょう。学校の学校です。

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