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【ドキュメンタリー】生きろ 島田叡 戦中最後の沖縄県知事

沖縄での戦争における悲惨な様子についてはこれまでのテレビ番組で知る程度ではあったが、今回詳しく知ることが出来た。

それでも、ほんの一部であると思う。
その当時の人たちが味わった想像で計り知れない苦しみや悲しみや絶望が
わかるということは絶対に出来ないと思うからだ。

ただ事実としてこういったことがあったということを知るということは大事なことだと感じる。

今回のドキュメンタリーの中心は島田叡さんである。
戦中最後の沖縄県知事としてどうしていくべきか、どうしなければならないのかという心の葛藤や責任感、知事としての振る舞い、覚悟など様々なことが描かれている。

島田叡さんについてはこのドキュメンタリーで初めて知った。

生きるということ、生き続けるんだという切なる思いを住民に
持ち続けてもらいたいという気持ちがすごく伝わった。

過酷な戦場で島田さんが心の拠り所としていた2冊の本

葉隠 (はがくれ) ・・・代表的な武士道論書
南洲翁遺訓 ・・・西郷隆盛の遺訓集

南洲翁遺訓の中で特に印象に残っているのが
偉い人とはどんな人かと弟子に問われた時の西郷の答えであるという。

大臣とか大将のような地位ではなく、財産の有無でもなく、世間的な立身出世でもなく、一言でいえば「後ろから拝まれる人、死後慕われる人だ」

自分事ではあるが、私の父は数年前に病気でなくなった。
その葬儀にとても多くの方が参列して下さった。あの時、父が多くの人に慕われていたんだと感じた瞬間だった。
私の父は人にやさしく、いつも笑顔で人のために動ける人だった。

死んだときにその人がどう生きていたのかがわかってしまうものだと思う。

島田叡さんの生き様を知ることが出来たことはとても自分にとって大きいと感じております。

アジア太平洋戦争末期。すでに日本軍の敗色濃厚だった1945年1月31日、一人の男が沖縄の地を踏んだ。戦中最後の沖縄県知事・島田叡(しまだ・あきら)である。前年の10月10日、米軍による大空襲によって那覇は壊滅的な打撃を受け、行政は麻痺状態に陥っていた。そんな中、内務省は新たな沖縄県知事として大阪府の内政部長、島田叡に白羽の矢を立てた。辞令を受けた島田は、家族を大阪に残し、ひとり那覇の飛行場に降り立ったのである。知事就任と同時に、島田は大規模な疎開促進、食料不足解消のため自ら台湾に飛び、大量のコメを確保するなど、さまざまな施策を断行。米軍が沖縄本島に上陸した後は、壕(自然洞窟)を移動しながら行政を続けた。だが、戦況の悪化に伴い、大勢の県民が戦闘に巻き込まれ、日々命を落としていく。©2021 映画『生きろ 島田叡』製作委員会

Amazonプライムビデオより

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