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建築学生だけが「建築学科は忙しい」と信じ込んでいる

徹夜が当たり前とされる建築学科の世界ですが、生産性を向上させスケジュール管理を徹底し作業環境の改善を図ろうと考える学生は少数派です。

課題提出直前に密集した作業量をいかに課題期間全体に分散させるかという当然のライフハックに腐心している学生は、建築学科では優秀な学生でもあまり見かけません。

むしろ提出間際の睡眠時間の多寡を互いに報告しあうという実に惨めな現状を、当人たちだけでなく教授陣も業界人も暗黙のうちに認めているのが建築教育の現場なのです。

なぜ他の学科に比べ建築学科が忙しいという迷信がこれほど当然の如くまかり通っているのでしょうか?

まず代表的な意見として、建築学科の課題は数学や理科のテストと違って「完成がないから」という主張をよく耳にします。
確かに、建築作品には唯一無二の正解というものはなく、時間をかけようと思えば無限にかけられる性質をもつ課題です。

しかし残念ながら、これも建築学生がしがみつく甘美なウソにほかなりません。
なぜなら、多くの学生が徹夜している理由はより完成度の高い設計を目指しているからではなく、「締め切り直前にも関わらず最低限度の提出物すら揃っていないから」だからです。徹夜が当たり前とされる建築学科の世界ですが、生産性を向上させスケジュール管理を徹底し作業環境の改善を図ろうと考える学生は少数派です。

課題提出直前に密集した作業量をいかに課題期間全体に分散させるかという当然のライフハックに腐心している学生は、建築学科では優秀な学生でもあまり見かけません。

むしろ提出間際の睡眠時間の多寡を互いに報告しあうという実に惨めな現状を、当人たちだけでなく教授陣も業界人も暗黙のうちに認めているのが建築教育の現場なのです。

みんな頑張っているのに、忙しい

なぜ他の学科に比べ建築学科が忙しいという迷信がこれほど当然の如くまかり通っているのでしょうか?


例えば、理学部や情報学部や医学部の入試にはやる気と能力の高い学生があつまりやすく、建築学科には「情熱もなく、時間管理能力に乏しい人が集まりやすい何かがある」とでもいうのでしょうか?
でも 一人二人ならいざしらず、大多数の建築学科学生がこの有様である以上、この不条理は属人的な問題ではなく「建築学科という組織や環境」に原因を持つ、構造的な風土病であるとみなすべきでしょう。

では、その建築学科は忙しいと錯覚させる何かしらの原因とはなになのか。

 

建築学科と忙しさにまつわるウソ

まず代表的な意見として、建築学科の課題は数学や理科のテストと違って「完成がないから」という主張をよく耳にします。
確かに、建築作品には唯一無二の正解というものはなく、時間をかけようと思えば無限にかけられる性質をもつ課題です。

しかし残念ながら、これも建築学生がしがみつく甘美なウソにほかなりません。
なぜなら、多くの学生が徹夜している理由はより完成度の高い設計を目指しているからではなく、「締め切り直前にも関わらず最低限度の提出物すら揃っていないから」です。

「建築に終わりはないから」

という発言は、少なくとも課題の中盤において一通りの図面と模型が揃うくらいの制作力を身に着けてから口にしないと、大変底の浅い芸術家気取りになってしまうだけだと思います。

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それから、建築学科の課題量が多く、それゆえ時間が足りないという主張も、根拠の薄い内容と言わざるを得ないでしょう。
というのも、建築学科生のいう「忙しい」とは、単に提出期限直前のことだけを指しているからです。

よくよく大学内を見回してみると、平生はむしろ実験レポートや現場実習に追われる理系の他課程の学生ほうが、よほど忙しそうに駆けまわっている事に気が付きます。
なぜなら他の理系学科の演習は、「毎週この時間には、実習室・実験室に集合」という形式のものが基本であり、時間的自由度が比較的低いからです。

それに対し建築学科の設計課題は「最終的な締切に提出できれば、どのような時間の使い方をしてもいい」というフレキシブルな演習であることがほとんどです。
よって建築学科の忙しさは、常に締め切り前の1週間に極端に集中しています。

むろん、建築学科が他の学科に比べ「暇である・楽ができる」とまでは主張しません。
が、少なくとも建築学科だけ極端に課されるノルマが多いと考えるのは他の学科に対して失礼なのでは無いでしょうか?

提出期限が近づくに連れて加速度的に忙しくなっていく建築学科の現状。
世間一般ではこれを「建築学科生は課題量が多く忙しい」ではなく「建築学科生はスケジュール管理能力が夏休みの小学生並み」と表現します。
やはり建築学科は、忙しいのではなく単にタイムマネジメントが下手なのです。

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しかし一口に「タイムマネジメント」と言っても、それを単に「課題の前半は怠けている」と解釈していては、問題の表層をなぞっているに好きません。

思い返してみると、課題の後半で徹夜に追い込まれている学生というものは、必ずしも課題の前半でサボっているわけでは無いからです。
建築学科生は課題の提出が終わる度に次こそはキチンと間に合わせよう。徹夜もしないようにしよう。そのために次の課題はもっと早い段階から動き出そう」と固く心に誓います。
いつまでにどの作業を終わらせるかという計画を立てることも多く、客観的にも無理のない物が大半です。
そしてこの決意に嘘偽りは一つもなく、建築学科生は次の課題が提出されるや否や、迅速に課題に取り組むのです。

しかし、その努力が実を結ぶことは経験上極めてまれなことではないでしょうか?
締め切り直前になると、どういうわけかスタートダッシュの速さを全く活かせないまま、前回と同じように図面と模型に鞭打たれる夜を過ごすことになることになるのです。
課題の初期から早めのスタートダッシュを切ったにも関わらず、いつの間にか図面も模型もはかどらないまま、ただ時間だけが過ぎ、気づけば提出直前というお決まりの流れを、みんなが繰り返していることは、どう説明すればいいのでしょうか?

建築学科の徹夜の原因を「プロジェクト前半の慢心」のせいと思考停止するのではなく、もう一歩踏み込んだ洞察をしなければ状況は改善しないでしょう。

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建築学科は、忙しいのではありません。
建築学科は、時間に自由がないわけではありません。
建築学生は、能力が低いのでもありません。
建築学生は、やる気が無いのでもありません。

それでも、あなたの設計課題が間に合わなくなるのは、一体なぜなのでしょう?

設計課題が間に合わない本当の理由

徹夜の多い建築学科生は、課題というものを「訓練の場」と捉えています。
そのため、もし自分の能力を高めたいと考えた時、彼らは「課題に一生懸命になる」という選択肢をとります。

しかし、これはよく考えるとおかしな話です。
なぜなら設計課題とは、本質的には訓練の場ではなく「発表の場」だからです。

これは学校の試験を考えてみるとわかりやすいでしょう。
ここに、英語の成績が伸び悩んでいる1人の学生がいると考えましょう。
あなたが教員だったとして、彼にどのようなアドバイスを送りますか?

①「もっとテストを受けるときに、一生懸命頑張ろう」
②「もっと毎日の勉強を、一生懸命頑張ろう」

テストとは日々の学習の成果を試す場なのですから、この場合①の激励は全くナンセンスです。
より重要なのは「日々の学習」であり、テストの瞬間にのみ全力を尽くしたところで結果が伴うはずが有りません。

「問題が出題されてから評価されるまでの期間の努力」だけに力を振り絞ったところで、なんの意味もないのです。


しかし多くの建築学生は、この間違いを犯しているのです。
造形美と新規性に溢れ、社会的側面から見ても思慮の深い設計を、繊細かつ力強い図面と模型によって表現する建築学科生。
彼らに共通しているのは、課題と完全に独立した日常的な鍛錬とトレーニングの存在です。

彼らは日常において常にアンテナをはり、建築という枠を超えて情報や教養を吸収しているのです。
彼らは毎日の習慣として社会に潜む課題とその解決策に思考を巡らせているのです。
彼らは常日頃様々な図面を観察し、時にトレース・模写を通じて線の意味を探っているのです。
彼らは普段からより美しくパワフルに意図を伝えられる模型を、より素早く作るトレーニングに余念がありません。


 課題が始まってからようやく関連書籍を買い集めているような私とは、スタート時点で勝負がついていたのです。
つまり、課題のための情報収集・アイデア構想という考え方がそもそも間違っていたのです。


え?
課題だけでも忙しいのに、そんな努力をしている暇がない?

たしかに一見すると彼らは、只でさえ忙しい設計課題をこなしつつ、更に膨大な量の努力を重ねている超人のように見えるかもしれません。
しかしよくよく彼らを観察していると、実は設計課題にかけている時間はごくごく短時間なことに気がつくでしょう。
さらによくよく注目してみれば、そこに登場しているアイデアや発想は、実は過去にその人自身が吸収した知識や思いつきの使い回しであることにも、理解が至るでしょう。

つまり彼らにとって設計課題とは、「すでに自分の中に用意している解答を、課題に沿って当てはめるだけの作業」に過ぎないのです。
その姿は、課題が出題されてからアイデアを練っている学生からすれば異次元の思考スピードに見えるときもありますが、しかしそのスピード感は、必ずしも思考速度や判断力の速さが原因では無いのです。

それは芸人が、「なにか面白いこと言って」と言われてから面白い話を創作しているわけではないことと同じです。
料理人が、「〇〇な料理を作ってよ」と言われてから、一からレシピを考案しているわけではないことと同じです。


そのため、課題が忙しい・時間が無いという人ほど、課題以外の訓練・トレーニングに時間を費やすべきなのです。

 まとめ

この記事を読むあなたがとるべき行動は、課題を中心とした設計スタイルから独学・自主制作を中心とした設計スタイルへの転換です。

日常から社会と建築のあり方を多面的に捉え、脳から血が出るほどの思考実験を繰り返していれば、課題に対してあなたが行うべきは課題の解釈と、図面・模型・プレゼンボード作成という作業だけになるのです。
その作業ですら、日々の研鑽を厭わなければさらにいくらでも高速化出来るはずです。
これらは何も特別な才能や能力を必要とすることではありません。

 なぜ建築学科生が忙しいとされるのか?
その答えは建築学科の課題量が多いからでも、課題期間が長いからでも、まして建築学科の学生だけがタイムマネジメント力に欠けているからでもありません。

 

課題が出題されてから動き始める課題中心の思考こそ、建築学科に潜む最大の病理なのです。

 

課題とはあくまであなたのこれまでの学習の成果を発表する場にすぎません。
常に自分の引き出しを増やす努力を惜しまないものに建築学科の女神は微笑むのです。
あなたの日常が実習課題中心に回る生活である限り、あなたの学習は永久的に実習課題ありきのままです。

課題を中心とした学習計画が、かえって課題の進行を遅らせているという皮肉な状況に、一刻も早く別れを告げるべきなのです。

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