松屋

松屋に、久しぶりに行った。そう、久しぶりに。
生半可な久しぶりじゃない。もしかしたら大学を出て以来だから、16年ぶり?
他意はない。たまたま食べる機会や環境に恵まれなかっただけだ。
なにしろわが県に松屋は1店舗しかない。その唯一無二の松屋が少し前に職場の近くにオープンして、懐かしいなと思っていた。

上京して通った大学のキャンパスに、松屋があった。地方の小さな町で育ち、慎ましい高校生活を送ってきた僕はそれまで、牛丼屋という文化に馴染みがなく、松屋が何の店なのかも知らなかった。大学では学食と別に松屋が入っていて、空腹を安く満たす手段をいろいろ試すうち、松屋を利用するのが定番になった。
中でも一番よく食べたのは「豚めし」だった。安かったから。記憶に自信はないけど、当時は並で290円くらいだった気がする。で、大盛りで350円とかだったか。それだけではさすがに野菜不足な気がして、無料の紅しょうがをたっぷりかけてよく食べた。安いだけじゃなく、味にも不満はなかった。

取り立てて輝かしくはなかったけれど、青春の味と言われたらまあそうかもしれない。思い入れというほどではないものの、懐かしさはある。そんな軽い気持ちで「そうだ、昼は松屋にしよう」と決めた途端、あの豚めしのイメージがまざまざと思い起こされて、食欲だけではない何か、言うなれば「ノスタルジー欲」みたいなものが止めどなく沸き起こってきた。

午後2時前。ランチには少し遅かったが、駐車場には片手では収まらない数の車があった。こうしていざ来てみると、看板の見慣れたロゴさえも味わい深い。もちろん別店舗だけれど、馴染みの店に来たような軽い足取りで入り口の扉を開けた。
入ってすぐに、食券制だと気づく。そうそう、そうだ。学食の松屋も食券だった。食券の列なのかオーダーの列なのか、分かりにくかったな。
お、タッチパネル式か。昔はボタン式だったけれど、まあそれくらいの進化は想定内。むしろ逆説的に懐かしさを感じる変化と言ってもいい。そうだ。俺たちも歳を重ねて、それなりに成長してきたよな。
最初に目についたメニューは「牛めし」だった。へえ、いまは牛めしを推してるのか。てことは、この「丼」のタブを押せば……ん? あれ、豚めしは? いやそのー、「ネギ塩豚カルビ丼」なんてしゃれたやつじゃなくて。普通の豚めしよ。普通の。いっちばんシンプルなアレ。ラーメン屋でいうラーメン。うどん屋でいうかけうどん。俺はアレを求めてるの。……え、どういうこと? どこにもないんだけど???

豚めしがないなんて想定はしておらず、画面のメニューを3分ほど周回した。結局諦めて、当時食べていたものに一番近いと思われた「牛めしランチセット」(500円)を押した。
どうやらこれで注文が通ったらしい。出てきたレシートを取り店内を見渡すと、さっきまでとは打って変わり、急にここがアウェーな空間に思えてきた。給茶機でコップに水を汲み、手頃なカウンター席に陣取る。番号で呼ばれて料理を受け取るシステムらしい。受け取り口の上に番号を表示するモニターがあり、「待ち」のところに僕のレシートの番号があった。
機械音声で番号が呼ばれ、店員さんにレシートを見せる。すると「セルフレジでお支払いを済ませてから受け取りに来てください」。そうだ、お金をまだ払ってない! さっきのタッチパネルの隣に、よく似た支払いの機械があった。おいおい、昔と全然違うじゃん。

牛めしランチセットとやらを受け取り、席で味わう。やっぱり昔食べた豚めしの味とは違う。当然だ。肉が違うんだから。まあ美味しいけど。
牛と豚じゃ繊維質や脂身のつき方がどうしても違う。味付けも、豚めしはもうちょっとあっさりだった気がする。肉の色が違うので、もちろん見た目の印象も変わる。美味しいけど。

美味しかった。ただ僕が勝手に抱いていたイメージとギャップがあったというだけ。馴染みの顔だと思っていた同級生と再会したら、自分には手の届かない分野で活躍してたみたいな、思いがけない距離感に少し当てられただけ。
何事も、何者も、時の流れの中にとどまってはいられない。ゆく川の流れは絶えずして、だ。

「ごちそうさまでした」と食器を返却して外に出る。駐車場を囲むように立つのぼり旗は、よく見たら「牛めし並400円」と軒並み書いてあった。なんだ、目に入ってなかったな。豚めしじゃなかったのか。
「ノスタルジー欲」はセンチメンタルに取って代わられた。ただ唯一、ランチセットに付いていたサラダだけは、昔のままという気がした。


帰って調べたら、豚めしは2012年というとっくの昔に終売し、時折復刻販売して話題になっていたのだった。というよりそもそも牛丼チェーンが豚めしを販売するようになったのも、米国でBSE(牛海綿状脳症)が流行した2004年ごろからだったらしく、むしろ豚めしが牛めしの代替メニューだったと知った。
僕が大学にいたのはちょうど2004〜08年。豚めしこそが松屋というイメージを抱いていたが、そのイメージこそ社会に目を向けない大学生が勝手につくり出したものだった。
学生の生きる世界は狭い。だけどそうやって生み出された身勝手なイメージこそが、ある意味では尊く、真夏の逃げ水のように胸を衝くのかもしれない。

牛めし、美味しかった。アレはアレでアリ。また行こう。

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