カメの甲羅

国道にカメがうずくまっていた。うずくまっていた、という言い方が正しいのか分からないが、手足頭すべて引っ込めて、うずくまっていたように見えた。
交通量の多い国道だ。たいへん危険なので車を停めて避難させようかと咄嗟に考えたが、すぐに「待てよ」と思いとどまった。
あれはミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)ではないか?

自分は生き物に詳しくない。ミシシッピアカミミガメを甲羅だけで同定できる外見的特徴を述べろ、と言われても表現に困るが、ミシシッピアカミミガメだとピンと来た。そもそも日常で他のカメを見かけることがないということも、判断に影響しただろう。とにかくあれはミシシッピアカミミガメだと思ったのだ。
だとすると、特定外来生物ということになる。

落ち着いた場所に着いて、改めて調べてみた。
ミシシッピアカミミガメはアメリカザリガニとともに2023年6月、環境省の「条件付特定外来生物」となった。
条件付特定外来生物というのは、飼育している人が多すぎるあまり、飼育を許可制にしてしまうとかえって野外放出が増えてしまうとの懸念から、飼育や無償譲渡は限定的にOKという枠組み。ただ法律上は特定外来生物ということらしい。

特定外来生物であれば、飼養、輸入、譲渡、放出などができなくなる。今回の場合、問題は、避難させるという行動が「放出」に当たるかという点だ。
環境省のサイトにはこのようにある。

野外で見かけた場合でも、「自分で飼う意思」がない限り、拾ったり、移動させたり、野生の個体を交番や都道府県庁・市町村役場などへ持ち込んだりすることは基本的にしないようお願いします。
一度移動させてしまった個体は、原則として放すことができませんので、拾った方の責任で飼育したり、引取り先を探したりして頂く必要があります。それができない場合には、そのまま、そっとしておいてください。

環境省自然環境局のサイト「日本の外来種対策」

やっぱり。移動させること自体、やめるように言われている。つまりあのカメは、自力でどうにか道路を渡りきるか、飼育を決意してくれる人が現れるほかに生き延びる道は、ほぼない。
目の前で危険にさらされている命を見捨てるのは心苦しいが、あの場ではそうするしかなかった――そう納得しかけた時、続く一文に気が付いた。

※自宅敷地内に勝手に入ってきたり、道路の通行の妨げになっていたりして困っている等の状況がある場合に、敷地外や道路外によける程度の移動は問題ありません。

環境省自然環境局のサイト「日本の外来種対策」

愕然とした。環境省も鬼ではなかった。そういうケースを想定し、あらかじめ例外的に「問題なし」と判断していたのだ。
自分は、危険に晒されている生き物を咄嗟に避難させてやらなかっただけでなく、その判断を中途半端な知識で「あれは間違っていなかった」と思い込もうとしていたのだ。

そもそも仮に避難させてやったところで、その場を誰かに見られない限り、検挙などされようもないことだ。仮に検挙されるとしても、目の前で危険にさらされている命を救うことがダメだというのなら、問われるべきはその規制自体の是非であって、無辜の命の危機を見逃すという判断はどんな場合も間違っているのではないか……。

申し訳なかった。後ろ暗い気持ちで、いまさらあのカメを思う。さっきまで自分の保身や言い訳のことしか考えていなかったくせに。
あの孤独な甲羅が、頭から離れない。どうか無事に国道から避難していてほしい。どうか……。

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