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私も千代子みたいに生きてえよ【千年女優】

2001年公開の映画『千年女優』のリバイバル上映が全国で始まった。夭折したアニメ監督・今 敏の劇場作品2作目にして、氏が平沢進とタッグを組んだ最初の作品だ。

元々とても好きな映画で、もうBlu-rayで何回観たかわからない。とはいえ映画館で観るのは今回のリバイバル上映が初めてで、今までとは全く違った体験ができてとても満足だった。少し久しぶりに観たのでとりとめのない感想を書いていく。考察とかは特にないです。


なんというか、自分が年を重ねるごとに強く響いてくる映画だなと思う。
酸いも甘いも若いも老いも全て引っくるめて鮮やかに回る人生譚。あんなものを見せつけられたら、そりゃ自分の人生だって重ねざるを得ない。観るたびに“自分の内側から”旨味が染み出してくる。この先もきっと何回も観て、その度に「今回の鑑賞体験が一番最高だった」と思うんだろうな。

序盤で鍵の君が「満月は次の日には欠けてしまう」「十四日目の月には明日がある」と言っていたのが、今回やけに印象に残った。一度意識が途切れた千代子が、取材は後日にしましょうかと提案されたのに対し「明日になれば思い出せなくなってしまうわ」と妙に確信的に言っていたのは、先の台詞を踏まえてのことだったのかと思った。鍵を取り戻してあの人の思い出を開いた今日の千代子は、「満たされて」しまっているから。

傷の男がスタジオを訪れてから、千代子が今まで積み重ねてきた時間が一気に収斂する感じがたまらない。鍵の君からの手紙を読んだ千代子は、若い頃の「あの人を一途に追いかける千代子」の顔になってまた走り出す。過去も未来もここに重ねて目まぐるしく走り続ける。ここで流れる曲のタイトルは『Actress in time layers』……あまりにも最高。

ついでに音楽の話。映画館の音響で聴く平沢進の劇伴、サイコッッッ!!!この映画はとにかく千代子が走るシーンのリフレインが印象的だけど、それと平沢進の疾走感・臨場感ある音作りがまあ合う合う。
千年女優を観るたびに平沢進の声デカくてワロタになるんだけど、映画館で観るとますます平沢進の声デカくてワロタだな。イィ~~~~ィイィイ~~~ィヤッ……イィ~~~~ィイィイ~~~ィヤッ……ラィ~~~~ラ~ァアァ~ア~ア~アァア~ァアァ~ア……(好きです)
主に宇宙空間で流れる『Lotus Gate(Landscape-1)』『Log Out(Kun Mae #1)』、令和の世に映画館で旬の音源が流れている…と思うとちょっと興奮する。


最後の台詞は公開当時から賛否両論あったらしいし、私も初見時は「?????」になったけど、今ではこの台詞があるからこそ映画が完璧なものになっているなと思う。「〇〇が好きな自分が好きなだけ」というのはある種のオタクに対する指摘としてありがちな言い方だが、千代子に言わせれば「それで何が悪い」という話なのだ。
生きているのか死んでいるのかもわからない男に振り回され続けた人生なんかじゃない。「あの人」の存在すらも「それを追いかけてるあたし」への愛着に取り込んで自己満足の糧とする、この自分本位っぷり。
自己愛に万象を巻き込みながら人生という舞台を駆け抜けた千代子は、最高に強かで美しかった。

今時は推しと自分を同一化しすぎない方がいいとか、推しをコンテンツ的に消費するなとか、「好きなもの」との距離感の取り方は面倒な議論の対象になりがちだ。自分もそれで悩むことは多い。あくまで健全な範囲で好きな人を好きでいたい、なんてくだらない保身ばかりの私には、千代子の「開き直り」があまりにも眩しく見える。
あの人と再会できるかどうかなんて、本当はどうでもいい。彼が生きていても死んでいても、いい。彼を追い続けて千年を駆け抜けた、その軌跡が千代子にとっての価値なのだ。その狂気にも似た純真さがある限り、千代子は永遠に「十四日目の月」であり続ける。

あー、私も千代子みたいに開き直り切って自分を愛してやりたいよ。


これほど劇的で壮大でロマンチックな物語の最後に、全てをひっくり返しかねない台詞を持ってこられるのは本当に凄い。こういう所から窺える、今監督の人生観や「愛」観が好きだ。
これからもずっと繰り返し観続けて噛み締めたい、そう思える映画だ。

『千年女優』は、1月19日(金)より2週間限定で再上映中。
まだ観たことがない人も、もう観たことがある人も、ぜひお近くの劇場に足を運んでほしい。

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