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夢・?・?

今朝はすごく早く目が覚めて、それはうまく眠れなかったからだった。
日記はたいてい朝の話から始まる。ここからは夢の話をする。

眠ると、よく夢を見る。
悪夢は見ない。夢を見ているときと目が覚めたときで、感情を持つ「わたし」に距離がありすぎて、悪夢も悪夢と認識できないから。
悲しい夢を見ることもほとんどないけれど、だからこそ、昔見た悲しい夢はよく覚えている。

その日は世界最後の日だった。あと数時間足らずで、この世は終わりを迎えてしまう。
最後まで諦めたくはなかったけれど、そのためにも、未練になるようなことは済ませておかなければならなかった。
私は父母に感謝の挨拶をして、親しい友人、何人かとも簡単に言葉を交わした。伝えきれなかったことがないように、言いたいことを言い切るというのが私の終わりの前の作法のようだった。
会うべき人に会って、言うべきことを言って、あとひとりだった。
私はひとりをずっと探していて、なのにどこにもいなくって、ずっと走っていた。
海岸沿い、住宅街、学校。あちこちへ駆けまわって、彼女の居場所を誰かれ構わず尋ねた。
このままじゃ間に合わないかもしれない。
嫌だ、そんなの。
走った。よく走った。
何番目に尋ねた子だろうか、同じ学校の同級生が、向こうで見たよと教えてくれた。学校の、手洗い場のほうだった。
そのひとは、手洗い場でスカーフを洗っていた。制服のスカーフ。こんなときに一体何をしているんだろう。
「さがしたんだよ」と私は笑ってなじる。
え、ごめんね、と、まるでそんなこと思いつきもしなかったみたいに告げられた。
気付いたらそこは真っ白な海辺に変わっていて、なのに蛇口だけあるからへんてこだった。すごく綺麗だった。忘れないでよ、という憤慨の気持ちが少しと、ちゃんと見つけ出せた、という誇らしい安心がたくさん。世界の終わりのことは、すっかり忘れていた。

走っている自分の荒い息、痛む脇腹、焦る心臓を、今もよく覚えている。

よくよく考えてみれば、これは悪い夢でも悲しい夢でもない。夢のなかの私は、会えないかもしれないという焦燥で、ひどく切迫していたけれど、最終的にはきちんと見つけたのだから。
目覚めてから、学校でそのひとに「なんであんなところにいたの?もっとわかりやすいところにいて!」と理不尽に話したことも覚えている。本当に言いたかったのは、ちゃんと見つけたよ、私走った、すごく走ったよってことだった。多分そういう主張もしたんだと思う。

夢で逢えたら、本当に会ったみたいな気持ちになって、少し満足してしまう。
この前それを人に言ったら、困った顔をされてしまった。

本日は早起きして、動画の先生を見つめながら激しく踊り、買い物に行って、お昼にクレープを作った。

クレープはとっても破れやすくて、今はまだクレープ屋さんにはなれんねえ。
でも何枚かは、上手に焼けた。うれしい。

フランスに行ったときに食べたお砂糖だけのクレープのことを思い出した。
売っていたお兄さんが話しかけてくれて、すごく晴れてて、道の端っこに座って食べた。焼きたてで、熱かった。

今日のはごはんクレープだから、具はたくさんだったけれど、どっちも大好きだなあ。
今日の具はあまいゆるいたまご、生ハム、レタス、ツナ。適当に組み合わせて巻いてた。お腹いっぱいになって、夜ご飯は遅くなっちゃった。

夜にはローストビーフを作った、とっても美味しかった。
お肉を丁寧に世話するような料理だけは何故かすごく得意、お肉への愛なのか。そうなのか。
ローストビーフ屋さんにはなるかもしれんけどローストビーフは売るより食べたいなあ。

赤ワインとはちみつとしょうゆとバター、あとたまねぎで作るソースが本当に美味しくて、考えたひとにお礼を述べておいた。

もう一品はキャベツと鶏もも肉のスープ煮。料理の名前ってよくわからない、スープ煮と書いてあったからそうなんだろうけれど、スープ・煮、うーん、不思議。

積読も崩せて良い日だった。倉知淳はやはり好きだな。クリスチアナ・ブランドは作品によって好みそうじゃないの振れ幅が大きい、なぜなのか。ゲーム・オブ・スローンズも観始めた。一話が既に面白い。進捗三話。海外ドラマは大好きだ。最近は映画ばかりだったから丁度いい。長い創作物は全部好き。終わりは悲しい。未完の浪漫がとても好き。勿論うまく完結している作品は非常に優れていることは重々承知している。質はなによりも重要。

会えない人とも夢の中でたくさん話せたらいい。嬉しいのは私だけだけれど、あなたに会えて嬉しかった話はきっとするから聞いてほしい。
存外元気でやっています。ただ、あまり俗世のことがわからなくなってしまった。

*写真は森博嗣の『夢・出逢い・魔性』あらすじ、夢から連想しただけで特に関連はない。素敵なタイトル。