人は特別になりたがるが特殊に属することを恐れる。
自分は特別である。
これは全人類が想っているべき事実だ。自己肯定でもある。だがここには(自分にとって)なんていう枕詞がつく。
ここで完結させられる人は強い。なかなか難しいが。
これが(彼、彼女にとって)(このクラスにとって)(仲の良いグループにおいて)など、他者が入ってくるとそれぞれの自己顕示欲などとのバランスになる。
(世間にとって)(世界的に)なんて言うには相当の覚悟と運が必要になる。
多かれ少なかれ、人は“個”として存在したい。同時に群れに埋没したいとも思う。
その割合によって声の大きさや性格が決まっているのではないか。
人はチヤホヤされたい。幸せになりたい、してほしい、と言い換えても良い。
これもまた(自分に)(他者に)(世界に)など枕詞で難易度や幸せに数値があったら変わるかもしれないが、これも不変の事実だと俺は考えてる。
人の数だけ幸せがあるから言葉遊びみたいなものだが。
ようは特別=幸せ。特殊、または特異=群れから弾かれる。
みたいな言葉遊びからの感覚。実はどちらとも群れから弾かれてるんだけど、勝手な感覚でその群れの上にいるか下にいるか、感覚のカースト制度。
個性なんてものは他者との違いでしかない。
狙って特別になろうとしても、きっとそれはろくなもんじゃない。
気楽にやりたいように生きればいい。
それは我が儘に、とか適当に、ではない。
自分の心に問いかける、決して詩的な表現ではなくてこれからはそれがとても大事なんだと思う。
画像は歌ったり踊ったり一般的には特殊なお仕事を生業にしている人たち。
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