777文字☆
2021年になった、今年の年越しも変化はあったが例年通りであった。
某ウイルスが及ぼす影響は多くて、罹患者はともかく社会と人間を機能不全に陥らせる。
ウイルスというのは厄介だなあとつくづく思う。経路はもはや不明であるが、感染を予防するために策が講じられている訳であって。
間違いなく感染は人と人のリアタイで生じているだろう(汲め!)。
ウイルスは当然であるが、個人内のシステムによって力が弱まる。そのシステムの脆弱性は個人内のいくつかの因子によって変動する。
無論であるが他人のシステムの脆弱性よりも自身のシステムの脆弱性の方が、自身がそのウイルスによって発症するか否かを決定する。
なので全く同じ環境に身を置いていても、するとしないが存在する。勿論、全くというのは無い。
なので、分からないのである。そして肉眼では見えないので分からないのである。
つまるところ、ウイルスを持っている、疾病無、身体/精神的ストレス小のAがウイルスを持っていない、疾病有、身体/精神的ストレス大のBと会う事はリスクが大きい。例えである。
そして上記太字の部分が分からないという点を踏まえれば、行動方針は見えてくるのではないだろうか。
今のところ、間違った事をいっているだろうか。
という事は前にも言った気がする。
分からないために行動指針が空気感になっている感じのする今日この頃であるが、やはり予想した通り某ウイルスはフィルターになってくれている模様である。
空気感を作るのは認知される事象である。時期柄、そういったものが多いが眺めるのは辛くもあり、楽しくもある。ご愁傷様という気持ちもあり、最後には憎しみの感情が湧くのである。
だが、分からないので何とも言えない。自分だって0ではないために、、、
ただ、不必要な、といっても違うのかもしれないが、こんな時代である。
時代錯誤はなはだしい輩多すぎんかね。
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