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紙と和紙の歴史

 「後漢書」には105年に蔡倫が紙を作り、和帝に献上したという内容の記述があります。なので、この蔡倫が紙の発明者だと伝説的に伝えられてきましたが、真偽の程は不明のままでした。

放馬灘紙

 ところが、1986年に中国甘粛省の放馬灘(ほうばたん)で世界最古の紙が出土し、蔡倫=紙の発明者説は大きく揺らぎます。出土した紙は、BC179年頃~BC142年頃のものと推定され前漢文帝・景帝の頃の古墳から出土したものです。その紙には、前漢時代の地図が書かれていました。

1.紙の発明以前〜蔡倫

 中国ではそれまでは、紙ではなくさまざまなものに文字を記していて、古くは、動物の骨や亀の甲羅、その後、青銅器や竹簡・木簡に文字が刻まれました。また、絹などの布に書くこともあったようです。世界最古の紙「放馬灘紙(ほうばたんし)」は麻が原料だそうです。
 蔡倫は樹皮、麻のぼろ布、破れた魚網などの材料として紙を製造したということです。この紙は品質が良く、「蔡侯紙」と呼ばれて広く使用されるようになったようです。
 現在では、蔡倫は紙を発明したのではなく製造法に改良を加えた功労者として認識されています。
 中国で生まれた紙は、シルクロードを通ってヨーロッパに伝えられ、朝鮮半島を通って日本にも伝えられました。

2.西洋で広く使われたパピルス

 西洋では、紙が伝えられる以前、古くは粘土板、やがてパピルス、さらに羊皮紙などが文字を記録するものとして使われました。粘土板に葦の枝などでかかれた楔形文字が出土しています。中国では骨や亀の甲羅に甲骨文が刻まれたわけですから、文字を書く素材と、文字の形には深いかかわりがあると言えそうです。

甲骨文字

 粘土に木のヘラなどで刻んだ文字が楔形文字、亀の甲羅にノミを用いて刻んだのが甲骨文字です。紙と筆と墨が発明されたことによって、それまで金石に刻まれた文字を、筆を使って紙の上に刻みつける筆触が生まれ、筆遣いが生まれることによって「書」という芸術ができあがったわけです。
 筆で紙に書く時の筆と紙との摩擦や墨の濃淡による滲み、かすれ、筆圧の強弱、文字の黒と余白の白などから書作品の美しさは生まれます。西洋では、筆ではなく、ペンを用いたので筆文字のように書道というものが生まれにくかったのかもしれません。それでも、ドイツの花文字、アラビア文字のアラビア書道(アラビア語でコーランを書く)のようなものもあります。

 さて、パピルスは、エジプトで発明された葦に似た植物(パピルス)の茎を使った紙です。英語のペーパーの語源となりました。製造方法は、ナイル川で取れるパピルスの茎の繊維を薄く削いで、数ミリほど重ねた状態で圧着します。乾燥すると、樹液でくっついてはがれません。

 パピルスは製造に手間がかかり、貴重な存在であったため高価なものでした。地中海世界で普及しましたが、原産国はエジプトであったので、中東地方やギリシャ方面では入手困難で、さらに高価なものになったのです。
 その高価なパピルスを中東やギリシャの人が手に入れるためには、現在のレバノンの首都に当たるビブロスまで行かなくてはなりませんでした。
 ビスロスは地中海世界の交易の要所でした。そのためギリシャ語ではパピルスのことをビブロスといいます。高価なパピルスは、大切な文書のために用いられました。そこで「ビブロス」ということばは、ヨーロッパ人のもっとも大切な文書である聖書「バイブル(biblos → bible)」の語源となりました。

3.木材パルプの発明

 紙の話に戻りますが、中国(東洋)でも西洋でも昔の紙の原料は、ぼろ布や木の樹皮でした。ところがドイツで印刷技術が発明されると紙の需要が劇的に増え、原料のぼろ布が足りなくなる事態となりました。
 そんな頃フランスの科学者レオミュールがスズメバチの巣の繊維が木材を原料にしていることに着目し、その原理を元にドイツ人ケラーが木材パルプを発明しました。1840年のことです。
 これが現在の機械生産(大量生産)洋紙の始まりでもあり、紙による森林破壊の始まりでもあります。

和紙の原料

 ところで日本では、610年に高句麗を通して製紙法が伝わりました。
 その頃の原料は麻でしたが、やがてコウゾやガンビなどの植物が使われるようになり、日本独特の「和紙」となってゆきました。
 和紙の原料は畑で栽培するコウゾなどですので、自然林を伐採することは一切ありません。


参考文献:
「和紙の博物館」http://hm2.aitai.ne.jp/~row/
「日本製紙連合会」http://www.jpa.gr.jp/
「アラビア書道の世界」http://www.alqalam.jp/
「マンガ 書の歴史 殷~唐編」

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