ひがしやま

ふぇち工房Fetish Factory GAGONの管理者 東山拳です。 http:/…

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ふぇち工房Fetish Factory GAGONの管理者 東山拳です。 http://www.gagon.com/ Fetish Factory GAGONを始めた頃のドタバタ話や スマホやSNS、まともなパソコンが無かった時代にどうやっていたのかなど。

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あの頃

ふぇち工房Fetish Factory GAGONの管理者 東山拳です。 http://www.gagon.com/ 人の数だけ妄想がある。着衣のまま濡れたり汚れたりするちょっ と非日常を楽しむというテイストをはじめ、日常ではやれない、やってはいけないことをちょっとやてみたい、見てみたいという不思議な世界を表現しています。 Fetish Factory GAGONを始めた頃の話を、時間が出来た時に記事を書いていこうと思います。 立ち上げ当初から応援していていただいてい

    • 思春期時代

      小学生時代のオタクから脱したいと思ったのは、中学生のころ。 脱したいと思ったのは、たぶん女の子の目を気にしたりとか、モテたいと思ったのだろう。 で中学時代は陸上部に入部した。 当時の部活動って先輩のシゴキがひどかった時代で、新入りの一年は部活の時間中すべてが筋トレ。 一年皆でやるんだけど、一人でも根を挙げたやつがいると、最初からやり直しみたいな、エンドレスな筋トレだった。何度もやめようと思ったけど、中学校で部活に所属しないのは、認められなかったので、苦しいながらも続けた。

      • じつはオタクだった。

        前回からの続きになりますが 小学校時代から着衣での濡れたり汚れたりというシーンに悶々としてたわけだが、このころは、フェチなんていう言葉もなかったし、自分のなかでもこの感じがなんなのか分からなかった。まだ小さいからね。 で、そのころ流行っていたのが、スーパーカーブーム。 いまでもランボルギーニカウンタックは憧れの車だ。 これと同時にスーパーカー消しゴムも流行って 学校の机の上がサーキットになってたりした。 これに必要なアイテムはBOXYのボールペンね。 スーパーカーブームの

        • きっかけ

          思い出しながらさかのぼると 小学高学年くらいになるかなあ。 1979年ごろだ。 テレビ全盛期の時代で 土曜日夜にやっていたドリフターズの8時だよ全員集合が好きでよく見ていた。親からはこんな下品な番組と冷ややかな目で見られながら。 うちの家庭って母親が権限を持っていて しつけ的なものも厳しかった、ちゃんとしないさいが口癖だった気がする。 小学生時代、外で遊んで服なんかを汚してくると怒られるような家だった。 そんなときに、ドリフターズの8時だよ全員集合なんかは、女優さんに

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