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内子の街の夜と夜明け

さて、今回は2人で泊まるので前から気になっていた登録文化財の内子の一棟貸し宿を予約した。私にとって四国の瀬戸内側は気になるところで、その近くの内子の文化にも大いに興味があったのだ。
赤穂緞通は江戸時代末期に児島なかという赤穂の交易商の家柄の女性が、高松で万暦氈という大陸の絨毯を見たことから始まる。それって不思議な話じゃないですか?赤穂から近い京都や大阪ではなくて、かなり離れた海を渡った高松?鎖国時代に何故に高松に異国の絨毯があったのか?それも交易商やってた女性が一目ぼれするほどの美しい絨毯?
その疑問は瀬戸内海の古から大陸とつながっていた交易路としての役割を知ることで解決したのですが、この地域の文化が大いに興味の対象となったのでした。
というわけで、高松は都会なのでコロナを避けて内子に泊まることにしたのですが、街中に人がいない。観光客相手のお店は休業中。しかも緊急事態宣言出ていないのに、開いている飲食店は午後8時まで。。
とりあえず夕食のためにまだ明るいうちに宿を出て、すぐ近くの焼き肉屋さんに行きました。ここがとっても美味しかった。地元牛のハラミをたらふく食べて地酒も美味しく地元葡萄のリキュールも美味しく、お腹いっぱいになって店を出てもまだ8時前。人影のないレトロな商店街をぶらぶら帰る。

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街並みに文化の香りが。。道角に小さな公園があり、日商岩井会長高畑誠一氏の生家跡だそうだ。ここで案内文を読んでいた神戸っ子の娘が突っ込む。なんでわざわざ遠い神戸の学校に行ったんだ?(娘の出身校のOBだったんです、高畑氏)交通手段は何だったんだ?それはね、船に決まってるじゃないですか。高畑氏は世界を視野の先に見ていたんですよ。と人通りのない商店街で議論は続く。

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泊まった宿&筬欄間に麻葉組木埋め込みの凝った細工&鏝絵の鯉!
(鏝絵はオープンした時に地元の鏝職人さんが贈ってくださったとか)
そしてマンション暮らしの娘は寒いと言い、古民家暮らしの私は暑いと言い、娘はヒーター最強にして居心地の良い居間で夜更かしし、私は暖房を切った寝室で早々と寝て翌朝の散歩に備える。

内子の古い街並みを夜明け前から時系列で

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